レンスターが陥落したと報を受けたのは、母の野辺送りが済んでから七日後のことだった。
あぁ、だから。
それを嬉々として報告にきた伯母の家臣に、ティニーは冷めた一瞥を向けた。
母の葬儀に集った人の少なさに、今更合点がいく。あの時この家の人間は皆、レンスターを落とすことに躍起になっていたのだろう。
同じフリージの一族から、家臣から、使用人から、誰からも母は反逆者と罵られ、蔑まれ、夜ごと呪いの言葉を浴びせかけられた。ティニーが幼い頃はそれでも毅然としていたのだが、言葉の暴力は地下牢に幽閉された母の精神を徐々に蝕んでいった。ティニーの十ニ回目の誕生日を過ぎた頃から彼女は目に見えて痩せ細っていき、十四回目を前にほとりと花が落ちるように亡くなった。
最後に面会を許された日には既に正気を失い、何かぶつぶつと呟きながら笑っていた。灰色の髪は振り乱れ、父と兄の名を呼んでは奇声をあげ、その姿は哀れな母娘の境遇に同情の意を示してくれた見張りの兵の顔さえ顰めさせた。母が正気だった頃、大事にしなさいと託されたペンダントを握りしめながら、母の笑う姿にティニーは言葉もなく震えているだけだった。
お可哀想なお母様。
ティニーはそっと目を伏せ、けれど最後で自分も母を受け入れることを放棄したのだから、今更憐れむ資格などないと思った。
「レンスター落城の件について、奥様がお呼びでございます」
「……伯母様が?」
何の用だろうかと首を傾げつつも、遅れれば自分のみならず家臣まで叱責されてしまう。ティニーは足早に部屋を出、執務室の扉を叩いた。
「おやティニー、よく来たね」
紅をさした唇がにたりと歪む。毎日のように母を罵っていた伯母は、今度は自分に標的を移すつもりだろうか。きっと今も涙の跡でも探しているに違いないと、ねめつけるような視線を感じながらティニーは思った。弱味を見せてなるものかと、真っ直ぐに視線を返して唇を開く。
「お呼びでしょうか、伯母様」
「……レンスター落城の件は聞いたかい?」
右手に持った羽ペンを滑らせながら会話をする。それは人間的な好悪とは別に、伯母が有能な施政者なのだと思わせるのに充分な所作だった。
「はい。心よりお喜び申し上げます」
「呑気なこと。まだまだ喜ぶわけにもいかないんだよ」
かり、とペン先が紙に引っかかり、インクの染みが飛ぶ。伯母は軽く舌打ちをして立ち上がり、窓の外に見えるレンスター城を眺めた。
「リーフ王子の首をあげるまではね」
「……逃げたのですか?」
「おおかた、側近と共に直轄地の村に身を隠しているんだろう。勇猛で知られるレンスター王家の人間が戦いもせず逃げるとは、砂漠に散ったキュアン王子が泣くだろうにね」
その伯母の言葉を聞いて、余程リーフ王子を殺せなかったのが悔しかったのだろうとティニーは感じた。王家の人間が死ねばレンスター家は断絶してしまうのだから、逃げて生き延びることは臆したが故の行動ではないだろうに。
「それで、ご用件は何でしょうか?」
「おまえは頭が悪いね、少しは自分でお考えよ。母は反逆者とはいえ、おまえもフリージの人間。将来は一師団を率いることになるのだから、いつまでも上からの命令にただ従うだけではいけないよ」
将来と言うが、この女は自分をあと何年生かしておくつもりだろうか。
「申し訳ありません、リーフ王子を捜索させるということでしょうか?」
「そんなものは疾うにさせているよ。見つかったという報が入ったら、おまえに初陣を経験させてやろうと思ってね」
初陣と聞いて、理由もなくざわりと血が騒ぐ。戦場での感情に呼応して魔力が倍になるという、これが悪魔と呼ばれるフリージの血なのだろうか。
ぺらり、と鼻先に紙を突きつけられる。
「リーフ王子の居所だ。首をあげておいで」
ティニーは目を伏せ、仰せのままにと呟いた。
それが数時間前のこと。
フリージの目を忍ぶかのように深い森にひっそりとあった村の中、リーフ王子とその一味は潜伏していた。
ティニーは数人の私兵を向かわせ、槍騎士フィンを始めとする側近達を誘き出すことに成功した。落城前ならともかく、今のリーフ王子の側近でフリージの魔術師相手にまともな戦いをできるのはフィンしかいない。彼が私兵を引き付けている間に、リーフ王子はこの場所を離れるだろう。
予想通り、混乱に乗じて村を出る人影が見えた。ティニーはその人物の前に踊り出て、右手をかざす。
「誰!?」
護衛の少女がリーフ王子を背に庇いながら細身の剣を抜く。ティニーの目は、少女の背に括り付けられている杖に留まった。回復されたら面倒だという考えが頭をよぎる。
「レンスターのリーフ王子とお見受けします。私はフリージ家のティニー。貴殿の首を頂きに参りました」
言葉が終わらないうちに、少女の斬撃が身を襲う。荒々しい未熟な剣をひらりとかわし、ティニーは呪文を唱えた。
「雷精よ集え、エルサンダー」
次の攻撃が来る前に戦闘不能にする必要があった為、満足に詠唱はできなかった。それでも雷は落ち、少女の利き腕と足を焦がす。
苦しげに呻いた少女が崩れ落ちた瞬間、背後から左腕を捻り上げられ首筋に剣が突きつけられた。
「二人相手にするには、視野が狭窄だな」
いつの間に回りこんだのか、リーフ王子が背後に立っている。左手を取られ、剣を首にあてがわれているこの状況は、通常なら不利だと言えるだろう。
けれど、背後を取る間があったのなら斬ってしまわなかったのが彼の敗因だ。ティニーは、全身に雷精を集わせながら言う。
「大したものですね、王子……けれど放さないと絶命しますよ?」
雷精が全身を白く光らせる。いつでも相手を攻撃できる状況だが、リーフ王子は引かない。
「こちらの科白だ、ティニー姫。その口が詠唱した瞬間、この剣はあなたの首を落とす。」
「そんな間はありません、できもしないことを仰るのはおやめになったら?」
「やってみなければ分からないさ」
首にちりと熱がはしる。皮一枚を斬られたようだ。このことからも、彼の言葉が脅しでないことが分かる。
「……わかりました、ここは退きましょう」
すうと雷精を拡散させる。けれどリーフ王子の刃がそのままこの首を落とせば、雷精はこの血を求めて集い落雷するだろうことは計算の内である。彼が戦場にあるべき人間ならば、自分と共に彼の命は失われるはずだった。
「うん、感謝するよ」
しかしティニーの意に反し、彼はあっさりと自分を解放して剣をひいた。驚いて瞬きをする間に、彼は脂汗を流している少女を抱き起こす。
「何故斬らないのですか?」
その言葉にリーフ王子は振り返り、子どものようにあどけない表情で微笑んだ。
「僕は殺人者じゃないからね」
「ふざけないで」
怒りをこめてそう言うと、ふざけてなんかいないけれど、と前置いて彼は言い直した。
「フリージ一族の流血による死は落雷を誘因させるから」
「……っ」
知っていたのかと愕然とする。その感情は表情に出ていたらしく、リーフ王子は魔道書に載っていたと付け加えた。魔術師のいないレンスターで、魔道書を読む人間がいるとは思わなかった。
「ここで落雷されたら、僕だけじゃなくてジャンヌまで巻き込んでしまう。それは困るからね」
「お優しいのですね」
するとこの王子は、最初から自分を殺すつもりもなかったのだろう。皮肉をこめてそう言うと、彼の飴色の眸がじっと見据えてくる。透き通った、綺麗な目だと思った。
「大事なひとが死んだら、悲しいだろう?」
「…………」
大事なひとと言われ、思わず死んだ母のことを思い出す。
精神を病む前は、とても明るくて優しいひとだった。幼い頃、どうか娘だけはフリージの人間として扱ってくれと伯父に懇願し、自分を牢から出してくれた。あなたのお兄様といつか出会えますようにと、肌身離さず身につけていたペンダントを渡してくれた。伯父や伯母や従兄弟に褒められた時は共に喜んでくれ、叱られた時は慰めてくれた。
お母様。
息を引き取った時にも流れなかった涙が、今更視界を滲ませる。
本当は、遺体に泣いて縋りたかった。母の痩せ細った手を見るにつけ、湧いてくる伯母への怒りを吐き出したかった。フリージの人間として生きるより、最期まで共に母娘としてありたかった。
最後に会ったあの日、ただひたすら笑う母を抱きしめればよかった。謝ればよかった。
こんな暗くて寒いところに、ずっと一人にしていたのに。
お母様。お母様、ごめんなさい。
ぽたりと、足元に涙が落ちる。
「……どうしたの?」
リーフ王子が心配そうに声をかける。敵のことなど気にせずに早く逃げればいいのにと、涙を見られた気恥ずかしさでティニーは思った。
「早く行って下さい」
頷いた彼が踵を返すその一瞬、彼が背負った少女と目があった。
「フリージの豚が」
少女は恨みに目を光らせ、そう呟いた。
リーフ王子を殺せなかったと報告したティニーは伯母ヒルダから叱責を受け、この役立たずと罵倒されながら頬を張られた。
「ティニー、大丈夫?」
頬を冷やす水に浸した布を、従妹のリンダが持ってきてくれた。彼女の母エスニャはリンダが生まれたすぐ後にアルスター王妃になったため、リンダはティニーの母ティルテュの娘として扱われている。歳も同じなので、この二人は本当の姉妹のように仲が良かった。
「リンダ、私……レンスター王子に会ったわ」
「対峙はしたのね」
「話もしたの。可笑しいわよね」
「分からないわ、私は戦場に出たことがないから」
母譲りだという栗色の髪を風が揺らす。リーフ王子も、そういえばこんな色の髪だったとぼんやり思い出した。
「どんな人だったの?」
リンダは無駄な話が好きだ。ティニーはどちらかといえば無口な方だけれど、この従妹と話すことは好きだった。
ティニーはふと、窓の外に視線を送る。レンスター城が見えた。
肥沃なマンスターの大地に風が吹く。草木がざわざわと揺れる。
彼の栗色の髪は、透き通った飴色の眸は、この地によく似合うと思った。
「とても、」
部下を大事にしていた。敵なのに敵と見なしていなかった。優しかった。
それを総括した言葉はこれしかないと、ティニーは声に言葉を乗せた。
「とても、愚かなひとだった」
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