赤い。
 赤いものが、たくさん襲ってくる。
 逃げなきゃ。
 走って逃げなきゃ。あれに捕まったらだめ。もう抜け出せなくなる。
 なのに、足が動かない。逃げられない。厭、捕まりたくない。
 誰か、誰か助けて。
 叫んでいるのに、声が出ない。赤いものが迫ってくる。
 厭、怖い、助けて。
 キラ、助けて。



 あやふやうやむや頑なな



 目が覚める。赤い自分の髪が視界を覆っていて、思わず寒気がした。
 夢か。
 そう思って、フレイはもう一度目を閉じる。
 怖い夢だった。
 赤いものに捕らわれる夢。
 そして同じように赤い自分の髪。まるで血のようだ。
 この髪の色は好きじゃない。何だか悲しいことばかり思い出す色だから。
 溜め息をついて起き上がる。隣ではキラが小さく寝息をたてていた。
 こんな色だったら良かったのに。
 そう思って、彼の茶色の髪を少し掬う。手からさらさらとこぼれ落ちた。何の変哲もない、人間の髪の毛。
 変わらないじゃない。
 コーディネイターも、外見はナチュラルと変わらない。同じ、人間。
 でも、コーディネイター。ナチュラルとは違う。
「キラ、」
 眠っている彼の耳元に、そっと唇を近づけて囁く。
「戦場で、いつも何を考えているの?」
 こいつはパパを殺したコーディネイター。憎い憎いコーディネイター。
 戦場でこそ、その能力を発揮できる人間。人殺しに特化した化け物。
 でも、間違いなく人殺しの才があるにも関わらず、いつもキラはつらそうな表情をしている。
 巨大なモビルスーツを動かして、敵を殺すことに長けていても、彼は嬉しがらない。そんな能力はいらないと泣き、誰も殺したくないのだとまた泣く。才能は欲しくないひとのところに集まる、とはよく言ったものだ。
 甘いひとね、ばかみたい。フレイは心の中で毒づく。
 殺したっていいのよ、敵なんだから。死なないためには殺すしかないじゃない。そういうものを戦争っていうんじゃないの? 敵を殺したからって、気に病む必要なんて何処にも無い。一方的な殺戮ならともかく、殺し殺されるのはお互い様だ。
 けれど、キラはそうと割り切れないのだろう。優しいひとだから。
「……」
 ぶるん、と頭を振る。まだ寝ぼけているのだろうか。
 こんなことが気になるなんて、どうかしている。
 だってコーディネイターの心配なんて、しなくてもいい。する必要なんてない。
 どうせキラは、戦場で誰かに殺されるんだから。
 戦って戦って戦い続けて、それで死ぬんだから。
「フレイのこと、考えているよ」
「!」
 キラが、ゆっくりと目を開ける。そして、綺麗な顔を綻ばせた。
 心臓の鼓動が早くなる。びっくりした、と呟いて、驚いたふりをしてみせた。別に驚いてなんかいないのに、何故心臓の音はこんなにもうるさいのだろう。
 あたしは、どうしたのかしら。フレイは自分に問いかける。
 顔を見て心拍が早くなるなんて、恋でもしているみたいじゃない。
「キラ……起きてた、の……」
 うん、ついさっき、と呟きながら、キラは上体を起こす。鎖骨のあたり、怪我の痕が見えた。
 あれは、何処の戦場で負った傷だっただろうか。思い出せない。傷の手当てをしてあげたはずなのに。
 あの時は、どうでもいいと思っていたから。キラに傷があろうとなかろうと、どうでもいいと思っていたから。
 キラが、自分を見つめてまた微笑む。いとしい存在を見る時の、とびきり優しい笑顔。ひときわ大きく、どくんと心臓が跳ねた。
「君のことを考えている。いつだって」
 その言葉を聞いて、かっと頭に血がのぼる。腹立たしさが身体中を駆け巡った。
 そんなこと考えないで。あたしのことなんて考えないで。ちゃんと目の前の敵に集中しなさいよ。死んじゃったらどうするの。
 そう怒鳴りつけたくなる心情を抑えて、フレイはできるだけ自然に笑顔を作る。
 本当にどうしたんだろう。
 キラの心配なんてしていないのに。だってこれは、全て嘘なんだから。
「嬉しい」
 そう言って、キラに抱きつく。簡単なことだ。復讐のためには自分の気持ちなんか、見せる必要はない。
 キラのことなんか心配していない。これは復讐だ。復讐のための、演技だ。
 自分に言い聞かせて、何度も何度も言い聞かせて、胸の奥から響く否定の声を無視する。
「ごめん、フレイ」
 キラがつらそうな声をあげ、フレイの頭を撫でる。謝られた意味を解せず、顔をあげた。
「君が望む全てを、叶えてあげられなくて」
「……え、」
 ぴたりと頭が思考をとめる。
 どうしてそんなこと謝るの?
 今更、何よ。どんなに強くてもあんたなんて、パパを守ってくれなかったくせに。
「僕が、いくらコーディネイターを殺しても、君の気持ちは晴れないだろうから」
 ぴしりと、顔に貼り付けた笑顔が凍る。そんな顔を見られたくなくて、目を伏せた。ぐらぐらと心臓が脈打ち、手が震え、頭の芯ががんがんと痛む。
「だから……ごめん」
 思考を放棄しかけた頭を、フレイはゆるゆると回転させる。
 もしかしてキラは、知っているの? あたしがキラを利用していることを。
 思わずそう訊ねると、キラは頷いた。
 知っていたの? いつから? 知っていて、それでもあたしから離れなかったの?
 可笑しくなって、でも悲しくて、視界がじわりと滲む。
 そうね、隠しておけるはずなかったわ。不完全なあたしとは違って、あんたはすべてにおいて優れているコーディネイターだものね。
 顔を上げて、キラを睨む。憐れみの目で見られているような気がした。ぷつんと、理性の切れる音がする。同情されるのは大嫌い。
 利用されているのはそっちのくせに。利用されている走狗のくせに。
「どうして謝るのよ?」
 頭を撫でるキラの手を、フレイは乱暴に払いのけた。
 君の気持ちは晴れない、ですって?
 どうしてあんたに、あたしの気持ちを決め付けられなきゃいけないの?
 コーディネイターのくせに。あたしを見下しているコーディネイターのくせに。
 感情が沸点に達する。今まで隠していた気持ちが、どうやら止まりそうにない。
 構わないわ。どうせキラはお見通しなんだから、隠していたって意味はない。
「あたしのことを、キラが心配することないわ。どうせあんたは、」
 これは呪い。
 彼が戦場から離れられないように。
「戦って戦って、それで死ぬんだから」
 キラは悲しそうに顔を歪ませる。今にも泣き出してしまいそうで、けれど涙を堪えているような表情。
 ずきん、と胸の奥が痛い。痛みの理由は考えたくない。考えてはいけない。
 考えてしまったら、何かが壊れてしまう。そう直感した。
「そうだね、フレイ」
 泣き出すかと思った。酷いと罵って、出て行くかと思った。
 でも、キラはそっと笑った。いつもと同じ優しい微笑み。綺麗な綺麗な表情。
 どうして?
 キラは、怒らない。どんなに酷いことを言っても、泣き喚いても、力任せに叩いても、絶対に怒ったりしない。いつも、こんな時にだって、優しいのだ。
「僕は君を守るために戦って、戦って、それで死ぬんだろうね」
 キラは自分の手を取り、彼の頬に添える。あたたかくて、とても心地良い。
「君を守れるのなら、死んだっていいよ」
 びりり、とキラに握られている手が動く。
 駄目よ、駄目。そんなに簡単に、死ぬなんて言わないで、キラ。
 コーディネイターを殺して殺して殺し尽くして、あなただけ残ったら、その時あたしは、あなたを許してあげるんだから。
 その時まで死なないで、キラ。死なないでよ。
「……」
 死んでしまえと思う気持ちと、死なないでと願う気持ち。
 相反する気持ちは言葉にならず、頭の中でぐるぐると回る。何が確かな気持ちで何が本当の理由なのか、もうわからない。このまま意識を手放したら、今度こそ狂えるだろうか。
 気持ち悪い。
 そう呟くと、キラがごめんと手を放す。違うの、キラ。あんたの所為じゃないの。
 叫んでしまいたくなる言葉を飲み込んで、フレイはキラの鎖骨にある傷跡に触れた。一定の間隔で拍動が刻まれている。とても、あたたかい。
 フレイ、ねぇフレイ。
 キラの声。自分を呼ぶ声が何だかひどく遠い。キラに触れている指先が熱くて、頭がぼうっとする。
 キラが死んだら、この熱も消えてなくなるのだろうか。そう思うと、なんだか泣きたくなった。このまま泣いたら、きっとキラは戸惑いながら慰めてくれるだろう。
 だから泣かない。絶対に泣いたりしない。
 フレイ、ともう一度自分を呼ぶ声がする。キラの声で呼ばれる名前が、何だかとても柔らかくて優しいもののように聞こえた。
「僕が死んだら、君は僕を覚えていてくれるかな?」
「……忘れてやるわよ、思い出しもしないわ」
 唇を噛み締め、目を逸らす。どうして、こんな気持ちになるの?
 早く、復讐なんて終わってしまえばいい。そうすれば、こんな気持ちになることもない。
 けれど、復讐を終えても元には戻らない。キラのことを知らなかった頃には戻れない。
 キラがいない世界。そこで自分は、どんなふうに過ごすのだろう。
 それは望んだ未来のはずなのに、そこにキラがいないことに恐怖を感じた。キラのことを知らない時、いつもどうやって過ごしていたのか、もう思い出せない。それくらい毎日毎日、キラのことばかり考えていた。
「あたしは、キラのことなんて、大嫌いなんだから」
「うん……」
 淋しそうに、キラは言う。
 心臓が痛い。
 こんな声音の時にするキラの表情を、フレイは知っている。目に涙を滲ませながら笑っているのを、知っている。
 心臓が痛い。痛い。痛い。
 顔を上げて、ごめんなさいと言って、抱きしめてあげたい。
 けれど、できない。だって、これは復讐だから。
 あんた、馬鹿よ。こんな酷いことを言うあたしに、どうして笑っていられるの。
 キラの手が、フレイの頬に触れる。あたたかい手。人殺しをたくさんしてきた手。守りたいと叫びながら、守るためにたくさんの人を殺した手。
「君が僕を憎んでも、君が僕を忘れてしまっても、僕は……」
 優しいから。キラはとても、優しいから。
 あたしのことを見捨てたりしない。あたしから離れたりしない。
 どんなに苦しくても、つらくても、それが同情であろうとも。
 父親を殺された可哀想な女の子を、突き放せない。
 それをいいことに、あたしはキラを利用する。また、敵を殺させる。
 殺したくないと泣くキラに、あたしは殺せと言う。酷い、人間。
「やめてよ……キラ……あたしは、」
 ねぇ、こんな酷い人間と一緒に居て何の得があるのよ。いいかげん、あたしから離れなさいよ。もう付き合いきれないって。あたしにはうんざりだって。
 何度も言ってるじゃない。あたしは、あんたのことなんて嫌いなのよ。
 あたしの復讐を見抜いたのに、この気持ちには気付いてくれないの?
 あんたのこと、大嫌いなのに。
 コーディネイターなんて、大嫌い。戦って死んでしまえばいい。
 お互い殺しあって、一人残らず死に絶えてしまえばいい。
 それなのに。
 あたし、キラと一緒に居たいと思っている。死なないで欲しいと願っている。
 頬に触れるキラの手があたたかくて、とても心地良くて、離れたくないと心が叫ぶ。
 どうしてなの。頭の中がぐちゃぐちゃと乱れる。わからない。もうわからない。
 キラに縋りたかった。抱きついて、泣き喚いて、この感情のままに言葉を述べたかった。
 けれど、できない。だって、これは復讐だから。
「嫌いなの。キラのことなんて、嫌い……」
 ねぇ、だから、お願い。
「フレイ、君が……とても好きだよ」
 そんなに優しく、そんなことを言わないで。

 堪えきれず、涙が一筋、キラの手をつたって落ちた。



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フレイと居た頃のキラが好きでした。
キラフレ万歳。ふたりぼっち愛。