レスターとファバル

 逃げ回る金色の頭を、わしっと捕まえる。
 途端、つむじが見える程度に身長差のある少年が抗議の声をあげた。
「いててて、放せレスター!」
「逃げないって約束するなら放してやる」
「わかった、わかったから!」
「ちなみに嘘ついたら、七日はパティの弁当禁止だ」
「げ、それだけは勘弁しろって」
「逃げなければ何の問題もないだろう」
 ちぇっ、とひとつ舌打ちが聞こえる。行儀が悪い、とひとつ頭をはたいて座らせた。
「で、なんだよ?」
「この戦争が終わったら、ユングヴィに行け」
「またその話か」
 ファバルは面倒そうに頭を掻き、大きく溜息をつく。
「俺は政治なんてできやしねぇよ。おまえに任せるって言っただろう?」
「そうはいかない。正式な当主は、イチイバルを持つ者だと決まっているからな」
「誰が決めたよ、んなもん」
 心底うんざり、といった表情で、ファバルは不機嫌そうにイチイバルを眺める。
「こんなの、ただの弓だろ。道具に人生縛られるなんて阿呆らしくねぇ?」
「神器を冒涜するな」
「冒涜なんて、何度もしてるさ」
 聞いたことがあった。レスターは切れ長の目に眉を寄せる。
 孤児院の子どもたちをまもり養うため、聖弓を金儲けの道具にしてきたと。
「ファバル、以前も言ったが、それは冒涜ではない。
 親のいない子どもたちが生きるためにしたことなら、善行だ」
「俺も、言ったと思うけどさ」
 手にした弓を見つめたまま、ファバルは言う。
「俺のしたことを善行か悪行かを判断するのは、こいつじゃない。
 いつだって人間だろう?」
「……あぁ、言っていたな。それが?」
「だから、やっぱりおかしいと思う。
 この弓を扱えるかどうかで、ユングヴィの当主が決まるなんてさ。
 誰が当主に相応しいかどうかを決めるのだって、こいつじゃない。
 ユングヴィに住む民衆……人間だろう」
 はっと、レスターは目を瞬いた。
 頭の悪いこの従弟は、時折自分では考えつかないことを言ってみせる。
 少し黙っていると、ファバルは真剣な面持ちでレスターを見た。
「なぁ、レスター。
 俺がユングヴィの民なら、きっとこう思う。
 当主となるべきは、ただ弓の腕しか取柄のない馬鹿な野郎じゃなくて、
 異国にいてもユングヴィを愛し、そこに住む民の幸せを願い続けてきた奴の方だってな」
 ファバルは晴れやかな笑顔を見せ、イチイバルをレスターに突き出す。
「俺は、この戦争が終わったらこの弓をおまえに託す。
 誰でもいいんじゃない、おまえだから任せられるんだ。
 どうか、よく導いてくれ……俺達の祖国を」
 突き出された弓を受け取る。淡い金色の光がふっと消えた。
 レスターは深く頭をさげ、片膝をついて弓を捧げ持つ。
 最初で、恐らく最後になるだろう、臣下の礼だった。

 ファバルはユングヴィを継がない気がするのです。
 血筋より能力、って思ってそう。


スカサハとセリス

 セリスの腕が、稽古用の木刀から離れる。
「……どうした」
 けれどスカサハは打ち込む姿勢をとかないまま、眉を寄せて睨んだ。
 びくりと一度肩を震わせたセリスの目から、涙がぽろぽろと落ちる。
「なんだよ、何処か痛めたのか?」
 ふぅと息をつき、ようやく攻撃の構えをといてセリスの右手を取る。
 年頃の子どもらしからぬ厚い皮の張った掌は、何処も傷ついていなかった。
「セリス、言わなきゃわからないだろ。なんで泣くんだ」
「…………」
 ふるふる、と蒼い頭が振られ、そのままセリスは俯いてしまった。
 仕方のないやつだ、とスカサハは心の中で溜息をつく。
 自分より年上のくせに、泣き虫で、怖がりだ。
 剣の稽古より女の子と遊ぶ方が好きで、花を摘んでは嬉しそうに笑っている。
 そんな人物を、将来指揮官と呼ばねばならないと思うと、頭が痛くなった。
「セリス、おまえは俺達のリーダーだろう? リーダーは強くないといけない。
 泣いてばかりじゃ、強くなれないぞ」
「……たって、いい……」
 涙でくぐもった声が、微かに聞こえた。
「強くなれなくたって、いいよ。もう、僕はいやだ」
 しゃくりあげながら、セリスはそれだけ言ってまた黙る。
 馬鹿野郎と、怒鳴ることは簡単だった。
 けれどそうすれば、セリスはこのまま黙って泣き続けるだけだろう。
「何がいやなんだ? 言ってみろよ。
 オイフェ様やシャナン様には、内緒にしておくからさ」
 セリスはぐすっと鼻をすすり、逡巡するように唇を曖昧に開いては閉じる。
 そして、長い沈黙。短気な妹なら、きっとこのあたりで痺れをきらすだろう。
「みんなが、いやだ」
「は?」
「みんなが、僕のことを、まもろうとするのが……いやだ」
「……はぁ」
 近くに養い親達がいなくて良かったと、スカサハは胸をなでおろす。
 こんなセリフを聞かれたら、説教や殴られるどころでは済まないかもしれない。
 それでも、自分の所為で他人を傷つけるのがいやだと言う。
 みんなは、僕の所為で死んでいくんだと。
 自嘲気味に言っては、何度シャナンに頬を張られていただろう。
「セリス、わざとそういう言い方するのはやめろ」
「…………」
「そんな言い方したって、おまえをまもる人たちはいなくならない。
 誰も死なせたくないって思うのなら、」
 本当に仕方のないやつだ。
 自分より年上のくせに、泣き虫で、怖がりで、優しくて。
 そんな人物を、将来指揮官と呼ばねばならないと思うと、頭が痛くなった。
 指揮官となったセリスがいつか、悲しみに潰されてしまうのではないかと。
「おまえが強くなって、みんなをまもれるようになればいいだけだ」
「無理だよ、僕なんか……」
 弱いし、と続けようとしたセリスの頬を、木刀でぺちんと叩く。
「自分を卑下するやつは嫌いだ」
「……う、」
「ほら、涙を拭いて剣を構えろ。
 俺に勝てないうちは、おまえがリーダーなんて認めないからな」
 強くなればいい、誰よりも。
 死神と恐れられるほど人を斬り、強くなって、血だるまになり果てても、
 この優しい少年を、まもってやりたかった。

 なんだかんだで面倒見のいい兄ちゃんなスカ。
 セリスは泣き虫で、誰かが傷つくのが許せない子。



ティニーとイシュタル

 ぽつり、ぽつりと雨が降る。
 それは瞬く間にざあっと広がり、黒く焦げた戦場を濡らした。
 ふと頭が冷え、ティニーは自身が焼き払った跡を眺める。
 これを全て、自分ひとりでやったのか。
 小さな集落で、簡素な家と畑、そこに住む人々がいた。
 ほんの半刻前にはあったはずのものが、今は見る影もない。
 ぼんやりと佇むティニーの耳に、微かな泣き声が聞こえる。
「……?」
 辺りを見回すと、焼け落ちた民家の灰が少し動いていた。
「あ」
 反射的に膝をつき、夢中で掘り返す。
 表面は雨で冷やされていたが、少し掘り進めると熱がティニーの手を焼いた。
 掌が痛い。手袋は破れ、露出した皮膚は赤く腫れる。
 それでも、この下から泣き声が聞こえる。誰か生きている。
 そう思うと、灰を掘り返す手が止まらなかった。
「ティニー」
 後ろから肩を掴まれ、その場から引き離される。香水の匂いが鼻をついた。
「イシュタル、姉様」
「此処はもういいわ。戻って、お母様にご報告なさい」
「え、」
 ぱあっと六芒星の陣が広がり、転移の術がティニーを包む。
「待って……待ってください、姉様!」
 叫びながらティニーは、か細くなっていく泣き声を聞いた気がした。

「イシュタル姉様、おかえりなさい」
「ただいま、出迎えありがとう。手当てはまだなの?」
「……はい」
 イシュタルの右手が、鮮血に彩られている。誰の血だろう。
 ひりひり痛む掌をぐっと握り締め、ティニーは口を開いた。
「あの……あの子は、どうなったのですか?」
「手当てをするわ、こちらへ来なさい」
「その血は、あの子のものですか?」
「さあ、誰のだったかしら」
「お願いです姉様、教えてください」
「黙りなさい、ティニー!」
 冷たい声がぴしゃりと言い放つ。ティニーは僅かに肩を竦めた。
「あなたは、あの村へ何をしに行ったの?」
「……焼き討ちと、村人の殲滅です」
「どうして、する必要があったの?」
「叛乱分子を匿い、武器の不法大量所持をしていたからです」
「あなたは、誰?」
「フリージ家第三魔道士部隊隊長です」
「それならば?」
「当主の命令は、絶対……です」
 そう言い終わった時には、ティニーは完全に俯いていた。
 あの泣き声の主だって、最初から殺すつもりだった。
 情に流されて任務を遂行できないなど、フリージ家の一員としてあってはならない。
「それなら、この話は終わりよ」
「イシュタル姉様、」
 踵を返そうとしたイシュタルを、顔を上げて呼び止める。
「ありがとうございました。私の、代わりに……」
「人を殺したことへのお礼なんて、言っちゃだめよ」
 ぐいとティニーの手首を取り、イシュタルは歩き出す。
 香水の匂いと、血に塗れたその右腕は、かすかに震えていた。

 まだいろいろ割り切れてない頃の2人。
 イシュタルはティニーの代わりに手を下したこともあるだろうなと。



リーフとジャンヌとティニー。フィンティル前提。

 どうして?
 どうして憎いと思ってはいけないの?
 フリージは敵なのでしょう。
 リーフ様を苦しめる悪い奴なのでしょう。
 だったら殺さないと。
 みんな殺してしまわないと。
 そう言う私に、フィン父様は困ったようにして微笑んだ。
 それを聞いたナンナ姉様は、ジャンヌは短絡的ねと笑った。
 リーフ様は、ありがとうと仰った。
 いいです、父様や姉様がどう仰られても。
 リーフ様が感謝して下さるんだもの、きっと正しいのです。

「リーフ様に近寄らないで!」
 見た目にもとても細い少女は、私に押された勢いのまま姿勢を崩して床に倒れる。
「ジャンヌ、何をするんだ」
「リーフ様こそ、何をなさっているんですか!」
 悔しくて、涙がこぼれる。フリージの人間なんて、みんな敵だ。
 リーフ様から祖国を奪い、城を奪い、民を奪った悪いやつらなのだ。
「フリージの姫なんかと、仲良くしないで下さい!」
「言っただろう、彼女は仲間なんだ」
「お忘れですか、私達がこの女にどんな目に合わされてきたか!」
 そう言うと、リーフ様は悔しそうに項垂れる。
 ブルーム王の姪ティニーは、彼の手先となってレンスターの民を悉く死に至らしめた。
 三精霊を自在に操る魔道士集団に、レンスター兵は抵抗もろくにできずに殺されたのだ。
「リーフ様は、彼らの無念をお忘れですか!?」
 必死に涙声を抑えて叫ぶと、少女は服の埃を払いながら立ち上がる。
「忠義なご家臣でお幸せですね、リーフ殿」
「ティニー姫、家臣が無礼を働いて済まない」
「どうかお気になさらず。レンスターとあなたを大切に思う故ですもの」
 にこりと微笑むその顔は、とてもあの極悪非道なフリージ家の人間とは思えない。
「あなた、ジャンヌといったかしら?」
「…………」
「私とは話したくないのね、それも結構。けれど、知っておきなさい」
 冷ややかに視線を返され、背筋がぞくりと凍る。
「私は、確かにレンスターの民を殺したわ。けれど同じだけ、あなたも私の血縁や部下を殺しているのよ?」
「な…っ」
「私には、仲の良かった従妹が居たわ。リンダというとても有能な雷使いだったのに、あなた達に殺されたのよ」
 それだけ言って、彼女は去っていった。靴音が廊下に反響し、私は蛇に睨まれた蛙のように射竦んだままだった。
「ジャンヌ」
 リーフ様が、言い難そうに口を開く。
「君は信じたくないかもしれないけれど……ティニーは、フィンの実の娘なんだ」
「……フィン、父様の?」
 私は十年前、一家全員が帝国兵に殺されそうになったところをフィン様に助けて頂いた。
 彼は、親も兄弟もいなくなった私に父と呼ばせて下さった。
 ナンナ姉様もフィン様の実子ではなかったけれど、私達はとても仲が良かった。
 そういえば、姉様が仰っていた。フィン父様には、奥様と子どもが居ると。
 だから、いつか会えたなら、その時は仲良くしようと決めていたのに。
「あの……ひとが、父様の……本当の娘?」
 私の最も忌み嫌うフリージ一族の姫と、最も敬愛するフィン父様が血の繋がった親子。
 その事実が、今まで父様の娘ということで得られた誇りを急に崩していった。

 ティニーがジャンヌに丁寧語でないのは怒ってるからです。
 殺し殺されがお互い様なのが戦争。でも個人の感情は別です。



パティとリーン

 ぽたぽたと、血が落ちる音がする。
 失敗したなぁと呟いて、力が入らない体を横たえた。
 乾いた土の匂いと、暴力的なまでの日の光が身体を撫でる。
 ここ、どこだっけ?
 盗みに失敗して、がむしゃらに逃げ、辿り着いたのは知らない場所だった。
 耳を澄ませてみる。自分を追ってくる足音は聞こえない。
 ほっと安堵の息をつき、帰らなきゃと身体を起こそうとする。
 けれど、指一本動かない。
 あれ、どうしよう。
 走り疲れたのか、血を流しすぎたのか、急に眠気が襲ってくる。
 周りには、民家どころか人ひとりいない。
 このまま、目が覚めなかったら、どうしよう。
 そう思うと、パティの目に涙が溢れた。
 こんな所で、死ねない。あたしが死んだら、誰が、
 兄が仕事に出ている間、子どもたちの面倒を誰が見ればいいのか。
 からっきし生活力の無い兄の面倒を、誰が見ればいいのか。
 おなかがすいたと泣く子ども達の顔が脳裏を過ぎる。
 自分がいなくなって、必死に捜し回る兄の姿も浮かんだ。
 まだ死ねない、死ぬもんかと思うのに、身体はびくとも動かない。
 瞼が重く下がり、意識が遠ざかる。
 誰か助けてと呟いた声は、砂を含む風の中に消えた。

 目を開けると、寝台の上だった。
「あら、気がついたのね」
 傍らには、教会の礼服を着た同い年くらいの少女がいた。
 このあたりでは珍しい緑色の長い髪が目をひく。
「此処、教会?」
「修道院よ。傷は大丈夫?」
 言われて、脇腹を見てみる。血止めの処置がしてあり、包帯が巻かれていた。
「平気みたい……あれ、これって杖で治したんじゃない、よね?」
 話に聞いたことがある。
 治癒の力を持つ杖を使えば、傷口も痛みも最初から無かったように消えてしまうのだと。
 けれど、この手当てはいつも兄がしてくれるものを変わらない。勿論、出来栄えは兄より何倍も丁寧だったが。
「私、杖が使えないのよ」
「司祭なのに?」
「こんな恰好をしているけど、司祭でもないの」
「ふぅん」
 大して興味がある話題でもなかったので、パティは寝台から降りて身体を伸ばす。
「あなたのおかげで助かっちゃった、ありがとう」
「もう少し休んでいったら?」
「平気よ。早く帰らないと、兄さんが心配するもの」
 ぱちり、と少女の鶯色の眸が瞬く。
「そう、あなたには……帰りを待つ家族がいるのね」
「うん、当たり前じゃない」
「当たり前なの? 私じゃわからないな」
 くすくすと笑った少女は、なんだか淋しげに見えたので、
「あなた、家族は?」
 と訊いてみたら、
「いない」
 笑顔のまま、ぽつりと言った。
「じゃあさ、あたしの家族になりなよ。
 うち大所帯だから、ひとり増えてもどうってことないし」
 どうってことない、なんてことはさすがに無い。
 一人増えればそれだけ、兄や自分の負担が大きくなる。
 でも、この子はきっと家族が欲しいんだと、そう思った。
 なぜなら笑顔でも、やっぱり淋しそうだったから。
 瞬時意外そうな表情をした少女は、次に嬉しそうに微笑み、
「……ううん」
 けれど首を横に振る。
「もうちょっと、待ってみる」
 誰を、と訊こうとした声は出なかった。きっと、家族の誰かだろう。
「そっか」
「うん」
「待ってる人、きっと来るよ」
「……うん、ありがとう」
 ぽたぽたと、彼女の白い手の上に涙が落ちる。
「家族になる……って、言ってくれて、ありがと……」
 震える声に、胸の奥がずきんと痛む。
 静かに泣き続ける少女を、パティはぎゅっと力いっぱい抱きしめる。
 彼女の待ち人が早く来るようにと、願わずにはいられなかった。

 ダーナとコノートなら会うこともあるかなと妄想。
 たくさんの家族がいるパティと一人もいないリーン。



オイフェとシャナン

 かたん、と物音がして、目が覚めた。
「ん、」
 身を起こすと、隣で寝ていたはずのオイフェがいない。
「またか」
 伸びかけた髪をわしわしと掻いて起き上がる。
 外に出ると、まるい月がぽっかりと浮かび上がっていた。まだ夜明けには早い。
「結構寒いな」
 もう暦の上では春だろうに、吐く息が白く凍る。
 三年ほど離れていた間に、故郷の気候さえ忘れてしまっていた。
 シャナンは毛布を持ち、再度外へと出る。
 この集落の外れにあるいつもの場所に、オイフェは今日も膝を抱えているだろう。
「あれ?」
 そう思ったのに、目的の人物はそこにはいなかった。
 いつもなら、此処に座って主君を思い泣きじゃくっているのに。
 辺りを見回し、宛てもなく歩き回ると、何処かでくしゃみの音がした。
「オイフェ?」
「あぁ、シャナン」
 上から声が降ってきた。見上げると、オイフェが屋根の上に座っている。
「……何してるんだ?」
「月見。シャナンもおいでよ」
 ぐすっと鼻を啜る音が聞こえる。シャナンは溜息をついて屋根に登った。
「あれ、セリスもいるのか」
 オイフェの腕の中、毛布に包まれた幼児が寝息をたてていた。
「うん、さっきばったり会っちゃって」
「出て行くところを見つかったのか?」
「そうそう。それで、『オイフェが何処か行くなら僕も一緒に行く』って言われてさ」
「で、セリスの前では泣くに泣けず、一緒に月を見てたってわけか」
「ご名答」
 シャナンは持ってきた毛布をオイフェの肩にかける。
「意外に冷えるだろう、イザークは」
「そうだね、シャナンは寒くないのか?」
「僕は慣れてるからな」
 そう言った瞬間、シャナンが盛大なくしゃみをする。
 オイフェは笑いを洩らし、毛布を半分シャナンにかけた。
「やめろ、男同士で気色悪い」
「仕方ないだろう、おまえが二枚持ってこないのが悪いんだ」
「僕はいいって言っただろう」
「鼻水垂らしながら言うセリフじゃないな」
「何をこの……」
 危うく取っ組み合いの喧嘩になるところを、セリスの身じろぎが止めた。
 せっかく眠った幼子を起こすまいと、二人は同時に沈黙する。
「……まぁ、少しくらいならいいか」
「そうそう、背に腹は変えられないってね」
 シャナンは大人しく毛布を半分かぶり、空に浮かぶ月を眺めた。
 暫く並んで月を見ていると、オイフェが喋り出す。
「綺麗だね、イザークの月」
「あぁ」
「シアルフィで見た月も……綺麗だったんだ」
「そうか」
 二人でいる時は、思い出を話すことが多くなった。
「みんなで月見をして、アレクが初めてお酒を飲ませてくれた。
 かっと顔が熱くなって、喉が痛くなったよ。大人ってあんなの飲むのか」
「おまえ、弱いもんな。馬乳酒一杯でへべれけになる奴なんて初めて見たよ」
 いつもは言い返してくるオイフェは、ははと力なく笑っただけだった。
「ノイッシュは、子どもに酒を飲ませるな! って怒ってたっけ。
 アーダンは水を持ってきてくれて、少しずつ飲むんだぞって教えてくれた」
 その様が容易に想像できる。
「あいつららしいな」
「みんな、やさしいひとたちだった」
「そうだったな」
 シャナンも笑みを浮かべて、懐かしい人達を思い出す。
 思い出話は全て過去形で、楽しい思い出は全て記憶の中だった。
「楽しかったんだ、本当に」
「うん」
「また、みんなで月を見たい」
「僕もだよ」
 すやすやと眠る主君の忘れ形見を、オイフェはぎゅっと抱きしめた。
 それはもうけして叶わない、幸せだった頃の話。

 昔話をしたくなることだってありますよね。
 イザーク=遊牧民=馬乳酒という短絡的思考。



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