生ける者には祝福を。皆が平等に幸せになれるようにと、私達は奔走する。
死した者には安息を。ただ願うしかできないと言うなら、私は生涯祈り続ける。
「此処ももう駄目だ、行くぞユリア」
レヴィン様の手は、あたたかくてとても大きい。
この手で、いつも私を怖いものから守って下さることを知っていた。けれど同時に、この手が私を一所に留まらせないのも知っていた。
「いやです、此処に居たい。私は、此処に居たいです」
一度だけ、我が儘を言った。初めて仲の良い友達ができた時に、私はレヴィン様の手を振り払った。
また知らない所へ行くのはいや。私のことを知らない人達の中で過ごすのはいや。光の精霊達と遊んでいて、可笑しな子だと笑われるのはいや。
ねぇ、一緒に遊ぼうよ。
そう言ってくれたあの子と、別れるのはいや。
レヴィン様の手から逃げた。逃げて、身を縮こまらせて泣いた。
怒られると思った。どんな罰も覚悟していた。
けれどレヴィン様は、勝手にしろとひとつ溜め息をついただけだった。
「……後悔しても知らんぞ」
こうかい? 私は、泣きながらその言葉だけを復唱する。
どうしてそんなことをレヴィン様が仰るのか、私にはわからなかった。後悔したくなくて、今こうやって必死にレヴィン様に抵抗したのに。
けれど、その意味を、私はすぐに知った。
ごう、と風が鳴る。炎が渦を巻いて、私の周りを焼き尽くした。
ばきばきと音を立て、家が崩れ落ちた。悲鳴があちこちであがり、逃げ惑う人達を黒い髑髏が押し潰していく。
真っ黒な人達が、私に向かって歩いてくる。小さく笑いながら、私に近づいてくる。
全身が凍ったような寒気に襲われた。あれは怖いものだ。レヴィン様がいつも私を背に庇いながら、あれと戦っておられた。
怖いもの。捕まったら、殺される。逃げなきゃ。逃げなきゃ。
そう思っているのに、足はそこから根が生えたように動かない。手が震え出し、歯の根が噛みあわずにがちがちと鳴る。
見つけた。見つけた。今度こそ逃がさない。殺してやる。殺してやる。
闇よりも尚黒い衣の中、唇だけが赤くにたりと笑って呪文を紡ぐ。
黒い渦が私を襲い、吹き飛ばされたと思った瞬間、固い地面が私の身体を削る音がした。
腕や足がじんじんと痛み、できた擦り傷からは血が滲んでいる。
まだ死なぬか。光竜の加護は侮れん。子どもだと油断するな。楽に死なせてやれ。
黒い髑髏がいくつも襲ってくる。私の身体は何度も押し潰され、口や鼻からも血が溢れた。激しい痛みが涙腺を刺激し、私は血を吐きながら泣いた。
痛い。痛いよ。死んでしまう。殺される。
助けて、誰か。助けて、レヴィン様。
怖くて目を閉じると、先刻の養い親の顔が思い出される。
勝手にしろ。
「……」
今から謝っても、きっともう遅い。時間を戻して、起こってしまったことを無くすことなどできない。この痛みは、私の所為なのだ。
「ごめ……んなさい」
此処にレヴィン様はいない。それでも、謝った。謝らなければと思った。
あの方は本当の親でもないのに、いつも私を守って下さっていた。理由はよく分からないけれど、それを無駄にしてしまったことが、ただ申し訳なかった。
「ごめん……なさい」
薄く目を開けると、何度目かの髑髏が迫って来るのが見えた。これに当たればもう、私は死んでしまうのだろう。
それならば、せめて無様なまま死ぬのではなく、背筋を伸ばして死のう。
常に毅然としていなさいと、誰かに言われたことがある。優しくて、大好きな誰かに。
誰だったのか思い出せないのだけれど、その言葉を思い出して身体を起こした。
力が入らない腕を必死に張り、足で地を蹴って私は立ち上がる。全身がぎしぎしと音を立てたけれど、もう痛みは気にならない。炎の所為か血の所為か、視界は真っ赤だった。
黒い髑髏が私を喰らい尽くそうとして、恐ろしげな口を開ける。殆ど何も考えられなくなった頭が、もう一度ごめんなさいと言わせた。
「仕方のない子だ」
風が吹く。柔らかい風が、ふわりと私の頬を撫でる。
「え……?」
撫でられたところから傷が癒えていき、失せた感覚が戻ってきて私は激痛に顔を歪めた。
「勘違いするな。まだおまえに死なれるわけにはいかん」
緑の髪をした養い親は、じろりと感情のこもらない目で私を一瞥すると、黒い人達から私を背に庇う。いつもいつも見てきた、その背中。
レヴィン様の身体から、風と共に緑色の光が巻き起こる。その圧倒的な魔力に、私を含めた全員が竦みあがった。
「我が名は風神フォルセティ。愚かなる暗黒からの使者よ、光竜の加護を受けた娘を傷つけた罰、受ける覚悟はできているのだろうな」
音を立てて疾風が黒い衣を切り裂き、竜巻が地を削りとりながら彼らを粉々に砕く。
一瞬だった。
瞬きをする間に、私を襲った人達は跡形もなく消えていた。
ぱしん、
レヴィン様に頬を叩かれる。これが罰だと言うのなら、もっと叩いて欲しいと思った。
「おまえにはこれで充分だ。見てみろ」
ぐい、と腕を掴まれる。それは想像以上に強い力で、私は半ば引きずられる形でレヴィン様についていった。
「この子に見覚えがあるだろう?」
「……あ、ぁ」
火に焼かれ、上半身だけになって転がっているその子は、初めてできた私の友達だった。
「あの暗黒魔道士達はおまえを狙って来ていた。つまりお前がいなければ、この村は焼かれることは無かったし、この子が死ぬことはなかった」
乾いた私の頬を、涙が滴り落ちる。レヴィン様の言葉が、私に容赦なく突き刺さる。それは、今までに負ったどの傷よりも痛かった。
「……わた、しが……」
目を見開き、苦痛と驚愕の表情で絶命しているその子の、縋る形で固まっている手に触れた。ぼろりと音をたてて触れたところから崩れて行き、灰となって風に舞った。
初めてできた、友達。いつも一人でいる私に、話しかけてくれた子。
ねぇ、一緒に遊ぼうよ。
嬉しかった。ただ嬉しくて、嬉しくて、一緒に居たいと思った。
だって、淋しかったから。一人は、淋しかったから。
「私……私が……私の、所為で……」
「いいか、ユリア」
ふらふらとその場に蹲ろうとする私を、レヴィン様は掴んだままの腕を引いて立たせる。そうすることは許されないとでも言うように。
「おまえが、他人と深く関わることは許されない。おまえが誰かと一緒に居たいと思えば、必ずその人物はおまえを狙う奴らの犠牲になる。こんなふうにな。よく覚えておけ」
そんなつもりじゃなかった。ただ、一緒に居たかっただけなのに。
ねぇ、一緒に遊ぼうよ。
私にそう声をかけた所為で、この子は死んでしまった。私の所為で、何の関係もないはずなのに死んでしまった。
私の所為。私の……私が、殺した。
一緒に居たいと、大切だと思う存在は、こうやって殺されてしまう。
私に、殺される。私が、殺してしまう。
「どうして、私……いやです……あぁ、あ……」
私を立たせているレヴィン様の手に縋り、罪の重さに慄きながら慟哭した。
この手は、いつも私を怖いものから守って下さる。そして、私を一所に留まらせない。
何故なら、多くのものを失うからだということに、今更気づいた。
本当に、今更だった。
「陛下、少しよろしいですか?」
仕事の多さに目を回し、執務室に篭ってばかりの王に声をかける。
何か手伝いましょうかと問うと、書類の整理を任された。普段は意地でも私に仕事をさせない彼は、思った以上に切羽詰っているようだ。
「どうかした、ユリア?」
それでも、私の質問にはきちんと反応してくれる。
「お暇を頂きたいのですが」
「疲れたの? うん、随分手伝わせちゃったしね。いいよ、部屋に戻って休んで」
書類から目を離さず答える彼に、そうではないのですと笑う。
「シレジアに、帰りたいのです」
「そう、分かった……って、えぇ!?」
がたん、と勢いよく立ち上がる。その衝撃で、山のように積んであった書類がばさばさと机から落ちる。
「きゃあ、大変。大事な書類ですのに」
「待ってユリア! さっきのはどういう意味!?」
「あぁ陛下、踏んではいけません。今年の予算案ですのに」
「いや、そんなことどうでもいいからさっきの話!」
「よくありません、陛下。とにかくまずは落ち着いて下さい」
書類を拾い集める私の傍で、彼は暫くおろおろと慌てていたが、やがて深呼吸をして落ち着いたようだ。
「それで、どういうこと? この城に居るのがいやになったとか、僕の傍に居るのがいやになったとか?」
まさか、と私はまた笑う。
「お墓を作りたいのです」
「お墓?」
「はい。幼い頃、私は幾度となく暗黒教団に命を狙われました。一度、私はある小さな村を巻き込み、罪のない村人の殆どが私の所為で命を落としました」
ふと、話を聞いていた彼の目が曇る。この方も同じような経験をしてきたのだと、ラナ達から聞いたことがあった。
死ぬことが許されない立場は、幾重にも積まれた犠牲を土台にして成り立っている。
私はレヴィン様が守って下さったおかげで、あの一度きりだったけれど、彼はきっと何度もあんな目に合ったのだろう。そのたび、いっそ死んでしまいたいほどの罪悪感に苛まれてきたのだろう。
「あの頃は逃げるのに必死でしたので、その地は何の供養もされていないままとなっています。ですから今、私は私の所為で犠牲となった人々への供養をしたいと思うのです」
「……そうか、分かった」
彼はいつもと同じ優しい顔で頷き、そして柔らかく笑う。
「僕も一緒に行くよ。ユリアを生かす為に犠牲になった人達に会いに」
「……はい。ありがとうございます」
「ねぇ、ユリア」
そっと、彼が私の手を取る。昔から変わらない、あたたかくて優しい大きな手。
「帰りは、遠回りだけど陸路で帰ろう。僕もティルナノグに行きたい」
「えぇ、勿論です。私も、お会いしたいです」
セリス様を生かす為に犠牲になった人達に。
そっと、私は彼の手を握り返す。幾人もの犠牲の上に存在している私達の手は、目に見えぬ血で今も濡れている。
この罪深い手を取り合い、私達は生きていく。いつか死ぬ日までずっと。
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