モニターの向こう、軽やかに桃色の髪を揺らしながら歌う少女。
微笑んで歌うその姿は、まるで天使のようだと思った。
花びら涙 綻び落ちる
ふわり、とあたたかい感触が頬に当たる。
「ん……?」
瞼を上げると、毛布を広げた婚約者の姿が見えた。
「ラクス」
「あら、起こしてしまいましたか?」
彼女は小首を傾げてにこりと微笑むと、毛布を畳んでアスランの隣に腰掛ける。
あぁ、そうか。俺は今日、彼女に会いに来たのだ。アスランは、眠気の残る頭でぼんやりと思い出す。
「すみません、居眠りをしてしまいました」
会いに来ておきながら、無礼なことをしてしまったと悔いる間もなく、ラクスは眠りたい時にお眠りになって下さいと優しく返す。
「アスランはいつもお忙しいですもの、お疲れでしょう。お部屋で少し寝ていかれては?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
忙しい中に何とか暇を見つけて、こうやって会いに来ているのだ。寝てしまっては大層勿体無い。
それに、とアスランは思う。寝ているよりも、こうやって婚約者と話している方がずっと疲れがとれる気がする。彼女の声は凛と響き、そして優しい。至上の音楽でも聴いているかのような心地になり、とても安らぐ。
「……アスラン」
ふい、とラクスは戸惑うように顔を背ける。話をする時には、いつも相手の顔を真っ直ぐ見据える彼女が珍しい所作をするものだ。
「何ですか、ラクス」
言いにくいことなのだろうか。もしや、相談でもあるのだろうかと思い、アスランは優しく返事をした。
「わたくしのこと、好きですか?」
「………………え?」
瞬時、頭の中が真っ白になった。どうして、何の意図があって、どのような理由で、この可愛らしい婚約者はそのようなことを言うのだろう。
疑問はぐるぐると頭を駆け巡り、しかし言葉にはならない。アスランは耳まで赤くなったまま、ぱくぱくと口を開閉している。
「アスラン……あの、」
頬を桜色に染めたラクスが、アスランに向き直る。涼やかな空色の瞳に見つめられ、今更ながら自分の心臓がどくどくと暴れだす。
「申し訳ありません……変なことをお訊きして」
「い、いえっ、そんなことはありませんよ! ただ、いきなりどうしたのかとは思いましたが」
慌てて否定しても、目の前の少女は淋しそうに目を伏せる。その姿を見て、アスランは自分を殴りつけてやりたくなった。
自分はバカだ。先程の疑問に彼女が期待していた答えをわかっておきながら、そしてその答えと全く同じ肯定の感情を持っておきながら、即答してあげられなかった。
「ごめんなさい、アスラン……わたくし、何だか不安になりまして」
「不安、ですか?」
「えぇ……アスランはこんなにお疲れなのに、わざわざわたくしのところにいらして下さいますわ。わたくし、あなたがいらっしゃることが嬉しくて、今まで気付かなかったのですけれど」
ラクスはまるで痛みにでも耐えるかのように、きゅっと自身の両手を結ぶ。
「アスランは、婚約者という肩書きがあるから、気を遣って、わたくしに、会いに来て下さっているだけでは、ないかと……」
言葉を繋いでいる途中で、ラクスの瞳からぽたり、ぽたりと涙が落ちる。
それを見たアスランは慌ててハンカチを取り出し、ラクスの頬をつたう涙を拭う。泣き顔の歌姫は、それでも真っ直ぐに自分を見据えてくれていた。
「ですからアスラン、教えて下さい。わたくしのことを、あなたはどう思っておられるのですか? わたくしがあなたに気を遣わせる婚約者であるのでしたら、わたくしの存在が重荷であるのでしたら……どうぞ婚約を解消なさって下さい」
はっきりと、ラクスは言った。甘えもせず、縋りもせず、ただひたすら真っ直ぐに。
眩しいと思った。この少女はいつも毅然としていて、素直で、だからこそこんなに美しいのだと。
なのに自分は、この真っ直ぐな問いに即答できなかった。自分の素直な気持ちを口にするだけで良かったのに、何故言うのを躊躇ってしまったのだろう。
「婚約は解消しませんよ。あなたを重荷だなんて思ったことは一度もありません」
彼女の言葉を否定しようと、アスランはありのままの気持ちを述べた。泣かせてしまったラクスの笑顔が、これで戻ることを期待しながら。
けれど、眼前の少女の表情は翳ったままだ。
「……また、わたくしに気を遣って下さっているのですか?」
「そんな、ことは……」
いつもこうだ。いつも、自分の言葉は彼女に届かない。
本当のことを仰って下さい、正直に仰って下さいと、ラクスはいつも困ったように、そして淋しそうに微笑む。
いつも本当のことを、正直に伝えているつもりなのに。今の言葉だって、嘘偽りの無い気持ちなのに。
どうして、と一瞬もどかしく思ったが、すぐに思い直す。
ラクスがこんなふうに思うのは、自分の所為ではないか。
今までラクスを、婚約者としてしか扱ってこなかった。婚約者という肩書きを利用しなければ、話もまともにできなかった。そうでもしなければ、憧れの少女が自分と対等に話をしてくれるわけがないと決め付け、ラクスの気持ちを考える余裕など持っていなかったではないか。
『ねぇ、アスラン』
目の前の少女より、少し幼い顔を不意に思い出す。
『もしわたくしがあなたの婚約者でなかったら、あなたはどうなさいました?』
期待と、少しの不安が入り混じった表情をした婚約者に、アスランは正直な気持ちを返した。
『お会いすることはできなかったでしょうね』
それは正しいけれど、彼女が望んだ答えではなかった筈だ。いつもそんな、相手の気持ちを考えない発言ばかりして、それが結局大事な少女を泣かせることになってしまった。
アスランは、申し訳なさとやりきれなさ、そして自分への不甲斐無さに苛まれる。
「では、ラクス……婚約を解消しましょうか」
ぴくり、と彼女の手が動き、瞳がみるみるうちに曇っていく。桜色の唇から、震えた溜め息が洩れた。
もしわたくしがあなたの婚約者でなかったら、あなたはどうなさいました?
その問いに、今なら違う答えを言える。
「そして改めて、あなたのお父上に頭を下げに来ますよ」
「……?」
「ラクスを俺にください、って」
「!」
ぱっと、歌姫の顔に輝きが戻る。同時に、瞳から大粒の涙がぼろぼろと溢れ出た。
「もし、俺とあなたが何の縁もない関係でも……俺はお父上にそう言いに行きます、必ず」
けれど、ラクスの涙はとまらない。彼女は眉根を寄せて自分を睨む。
「アスランなんか……知りませんわ! わたくしを……こんなに心配させ……っ」
しゃくりあげながら、顔を真っ赤にしてラクスは怒る。彼女もこんなふうに怒ることがあるんだな、とアスランは軽く目を見張る。
「すみません、ラクス。本当に、申し訳ありません」
いつもなら謝罪を述べても、アスラン、そこは謝るところではありませんわと優しく笑い返すラクスが、今度ばかりは泣き腫らした目でアスランを凝視する。
「悪いとお思いなら、ちゃんとお気持ちを口に出して仰って下さい。アスランはいつも、黙っておられるから……だからわたくしは不安になるんですわ」
あぁ、そうかとアスランは思う。
俺は今まで、彼女の前で気持ちを言葉にすることをしなかったな。
けれど相手を本当に想うのならば、口に出さないと通じないこともある。
特に、自分のように口下手な人間ならば、尚更言葉を尽くす必要があったのにと、今更ながらに思った。
簡単なことだ。この気持ちを言葉に変換する、ただそれだけで良かったのに。
そんな簡単なことが分からなかった。それはやはり、ラクスに気後れしていたのだろうか。
いつだってアスランにとって彼女は憧れで、手の届かない高嶺の花だった。モニター越しの世界にだけ存在する、平和を歌う可憐な天使だったから。
ラクス、あなたはご存知ないでしょう。あなたに会うずっと前から、俺がモニターの向こうで歌う天使に恋をしていたなんて。
知らないのは当然だ。言ったことなどなかったのだから。
彼女は天使ではない。怒りもするし泣きもする、同い年の少女。
そして、自分のたった一言を待っている。気持ちを伝える、ただ一言の簡単な言葉を。
言わなければ伝わらない。
自分にとっては明らかな、この少女に対する溢れんばかりの好意すらも。
「好きですよ、ラクス」
アスランはそっとラクスの頬をすくいあげ、その額に唇を落とした。
ラクスは、はにかむように視線を漂わせ、そしてアスランを真っ直ぐに見た。
「わたくしも、アスランが好きですわ」
そう言って、天使のような笑顔でにっこりと微笑んだ。
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婚約者時代アスラク愛。
微妙な距離とじりじりもどかしいのがいい。
負の感情が似合わないカップル。