建物の隙間から、かすれた陽射しが差し込んでいる。けれどそれは目の前にある道を直接には照らさず、あたりは夕闇のように薄暗い。
 目の前には白い壁に挟まれた道が長く伸びており、先は目視できないほどだ。
 此処は何処だろう。
 ぼんやりと考えを廻らせようとしたその時、
「おにいちゃん」
 後ろから声をかけられる。振り返ると、玄関先に立つ妹がいた。
 けれどその姿に、違和感を覚える。自分の妹の姿そのものなのに、どうしてだろうかと首をひねった。
 そんな自分の心情など全く意に介さず、妹は怪訝そうに眉を顰めながら呆れたように呟いた。
「どうしたの、行くんでしょう?」
 行く?
 何処に、自分は行こうとしているのだろうか。
「もう、おにいちゃんたら。お砂糖がきれたから買ってきてって、さっきお願いしたじゃない。まさか三歩進んだら忘れたとか言わないでよ? ニワトリじゃあるまいし」
 そうか。自分は妹に買い物を頼まれたのか。
 何か作るのかと問うと、妹はクッキーだよと返す。
 お菓子作りが好きな子だった。色んなクッキーやケーキを焼いては嬉しそうに報告し、感想を促された。時には失敗作まで食べてみせ、美味いぞと言ってやったものだ。
「じゃあ、行ってくるな……マユ」
 笑顔を見せた妹は、行ってらっしゃいと手を振った。


 道はどこまでも真っ直ぐに続いていく。分かれ道が全く無い、不思議な道である。
 それにしても砂糖は何処に売っているのか。店どころか、人通りすら少ない道である。
 このまま闇雲に歩いても砂糖のあるところまでは辿り着けそうに無い。
 そう判断し、壁に寄りかかって本を読んでいる長い金髪の男性に声をかけてみることにした。
 すみません、と声をかけると、青い目で睨まれる。何か気に障ったかと思ったが、次の瞬間、彼は優しい笑顔に変わっていた。
「……何だ、おまえか」
 ぱたん、と本を閉じ、親しげに話しかけられる。自分と同い年くらいに見えるが、何処かで会ったことがあっただろうか。
「何を呆けた顔をしている。迷子にでもなったのか?」
 そんなに子どもではない、と言いたいところだが、目的地の場所がわからないのだから迷子も同然である。
 砂糖の売っている場所を知らないか、と訊ねた。
 目の前の人物はふむと考えこむと、自分の行き先を指差す。
「もう少し行ったら駅がある。汽車に乗って三番目の駅で降りるといい」
 そんな遠いところにあるのか、と少し挫けそうになるが、妹の頼みをすっぽかすわけにはいかない。
 ありがとう、と言って先に行こうとすると、さらりと長い金髪が揺れた。
「気にするな、と言いたいところだが、少しは気にしろ。こんなところで迷子になって、俺に心配ばかりかけさせるな」
 そう言うと、彼は踵を返して立ち去ろうとする。長い金髪の翻る華奢な背中を見て、その後姿を追いかけてばかりいたことを思い出す。
 涼しい顔をして何でもこなせる彼を勝手にライバル視しては突っかかって行き、そして例外なく返り討ちにされた。彼に負けまいと必死で努力するうち、一緒に行動することが多くなった。仲良くなり、同じ艦に配属され、共に死線を幾度もくぐり抜けてきた。無口で無表情で無愛想なやつだったけれど、自分は確かにこの友人が好きだった。
「ありがとう……レイ」
 彼の姿は、薄暗い路地の中で溶けるように見えなくなった。


 駅のプラットホームで、汽車を待つ。
 此処は終点のはずなのに、折り返す列車が全く無い。常に一方向から汽車が来て、乗客を降ろしそのまま去っていく。その繰り返しである。降車専用の駅なのだろうか。
 さて、此処からどうやって三番目の駅まで行こうかと思っていると、後ろから肩を叩かれる。振り向くと、目の覚めるように鮮やかなオレンジ色の髪をもつ男性がいた。
「よぉ、久しぶり! 元気してたか?」
 屈託無く笑いながら、背中をばしばしと叩かれる。強く叩かれた所為でごほごほと咳こむと、あぁ悪い悪いとまた笑われる。何とも豪快な人物だ。
「なあ、アスランはどうしてる? あいつも元気にしてんのか?」
 アスラン、という名に、ぴくりと自分のこめかみが動くのを感じる。
 知るかよあんなやつ、とぶっきらぼうに返すと、相手は目を丸くした。
「あーあ、喧嘩でもしたってか? まぁ仕方ないかねぇ。おまえさんは子どもだし、アスランも偉そうな肩書きの割にはヘタレだしな」
 俺は子どもじゃない、あのひとが全部悪いんだ。
 そう主張すると、今度はからからと笑い飛ばされる。
「そうやって、全部相手の所為にすること自体が子どもさ」
 ぐりぐりと頭を乱暴に撫でられ、次いで子どもを宥めるような仕草で三度頭を叩かれた。
「今はわからなくても、理解する努力をしてみろ。自分の意見に賛同してくれない人間の言葉を、ちゃんと聞いてみることだ。お前はミネルバのエースだろう? 赤服を纏える実力を、少しは対人関係にも発揮しろ」
 頭に載せられた彼の手を振り払い、わかってるよと言い返す。
 彼はにやにやと笑いながら、ふぅんと首を傾げた。
「まぁ、人生は長いんだからな。気楽にゆっくり理解していけばいい。
 ……ほら、汽車が来たぞ。乗るんだろう?」
 汽笛が鳴り、扉が開く。自分の背を押して乗車を促す彼の手に、いつかも同じようなことをされた記憶が頭をかすめた。
 戦場に赴く前、私怨で敵を討つなよと言われ、それが彼と会った最後の記憶となった。
 初めて会った時から気安く、話しやすい人物だった。自分を叱る時にもアスランのようにただ怒鳴り、殴るだけではなく、何が悪かったのか、どうして叱られるのかをちゃんと理解させてくれた。アスランに対して失言をして落ち込んでいた時も、本当は憧れているくせに、おまえは不器用だなぁと明るく笑い飛ばしてくれたものだ。
「じゃあな……ハイネ」
 おぅ、またなと返された途端に汽車の扉が閉まり、彼との間は隔てられた。


 三番目の駅で降り、砂糖を売っている店を探そうと歩き出す。駅から続く道は、やはり相変わらず壁に挟まれた一本道である。
 それでも、さっき居たところに比べれば人通りも多い。露店も道なりにあるので、砂糖を探すのにそう時間はかからないだろう。
 露店を覗いているうちに、前方不注意になってしまっていたらしい。誰かにぶつかり、そのまま体勢を崩して転んでしまう。
「あぁすまない。大丈夫かい、君」
 聞き覚えのある声が頭上から降り、大きな手が自分を起こすのを手伝ってくれる。顔を上げた瞬間、誰なのか明確に理解できた。
 デュランダル議長。
 そう呼ぶと、彼は困ったように笑って言った。
「君は、私のことを知っているのかね? けれど残念ながら、私は君のことを覚えていないのだよ。すまないね」
 ギルバート、と呼ぶ声に彼は振り向く。視線の先には、蜂蜜色の髪をした女性が微笑んでいた。
「あら、お知り合い?」
 その女性は自分を見ると、初めまして、と挨拶をする。その人物も、よく知っていた。
 グラディス艦長、と呼びたくなるのを必死に堪え、こんにちはとだけ返す。きっと、彼女も自分のことを覚えてはいないのだろう。
「うちの子と同じ年くらいかしら? また会うことがあったら、あの子とも遊んであげてね」
 はい、と返すと、彼女は嬉しそうににっこりと笑みを浮かべる。その顔は、子どもを大事に思っている母親の顔をしていた。
「そうそう、レイを待たせているんだ。行こうか、タリア」
「ええ。じゃあね、えぇと……」
 今更議長と艦長に名乗るのは何となく面映いのだが、相手が覚えていないのだから構わないかとシンは思い直す。
「俺、シン・アスカっていいます」
「そう。じゃあね、シンくん」
 二人は仲の良い鳥のように寄り添いながら、シンに背を向けて去っていく。その先には「父さん、母さん」と呼びながら、嬉しそうに駆け寄るレイらしき人物の姿があった。


 覗いて回った幾つ目かの露店で、砂糖を見つけた。いらっしゃいませ、と声をかけられる。店番をしているのは、柔らかそうな金髪にすみれ色の眸をした少女。
「ステラ」
 声をかけると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。その穏やかな表情が、今際の時に見たものと重なる。ふいに、今まで疑問にも思わなかったことが不思議に思える。
 どうして自分は、此処に居るのだろうかと。
 今まで会った人々は、先の大戦で命を落とした人物ばかりだ。生きている筈の自分が、どうして彼らに会えたのだろう。
 その問いに、ステラは答える。
「みんな、シンに会いたかったの。ステラも、会えてよかった。ずっとシンに伝えたいことがあったの」
 少女は笑顔のまま、言葉を続ける。命をかけて救いたいと思いながらもけして生きては救い出せない運命にあった彼女は、今はとても安らいだ表情を見せていた。
「ステラはね、幸せだった。ほんとに、幸せだったの。
 シンがステラをまもるって言ってくれたから、此処に来る時も怖くなかった。
 ありがとう、シン」
 輝くような笑顔を向けられ、ふとシンは顔を背ける。でも、と言おうとするシンの唇を、ステラは人差し指でそっと制する。
「ステラ、シンに幸せになって欲しい。ステラのことは、忘れてしまっても構わないよ。シンが生きて幸せなら、ステラも嬉しいの」
 その言葉に、ふと涙が出そうになった。
「でも、僕は……ステラを守ると言ったのに、」
 守れなかった約束。必ず守ると誓ったのに、彼女は自分の目の前で命を散らした。
 冷たくなったステラを沈めた湖のほとりで、許される筈のない謝罪を繰り返しながら長い間動けずにいた。涙が涸れるまで泣きながら、大事な少女を殺した世界を激しく憎んだ。
 ステラは首を振り、少しだけ悲しそうに瞼を伏せた。
「お願いだから、そんなに悲しそうな顔しないで。シンがステラをまもってくれたの、ステラはちゃんと知ってる。一生懸命まもってくれたの、ちゃんと覚えてる。ずっと、ずっと覚えてるから」
 ステラの手を握りしめようと手を伸ばすと、それは二人の少年によって阻まれる。
「まぁそんなわけだ。おいお前! 今度此処に来た時にそんなシケた面さげてきたら、ステラに会わせねぇからな!」
 水色の髪をした少年がステラの後ろから出現し、一気にまくしたてる。
 アウル、怒鳴ったらだめなの、とステラは少年を諌めた。
「同感だな。もっと歳とって、ちゃんと地に足つけて生き抜いてから此処に来いよ。あぁそれと、その時もしもステラを忘れてやがったらどうなるか覚えておけよ?」
 シンの後ろからは緑色の髪をした少年ががっちりと自分の手を拘束している。二人とも、まるで姫を守る騎士のようだ。
 スティング、シンを脅かさないで、とステラがまた困ったように言う。その光景に、シンは誓うように呟いた。
「大丈夫、忘れない。一生……いや、死んでも忘れない」
 ステラのことも。喪った家族や、戦場で散った仲間のことも。
「その言葉、忘れんなよ?」
「よぼよぼの爺さんになったおまえとの再会を楽しみにしておくからな?」
 二人の少年、アウルとスティングは笑いながらそう言うと、何処かへ走り去る。残されたステラは、砂糖の入った袋をシンに渡した。
 シンが袋を手にすると、砂糖の粒はきらきらと輝きながら舞い上がり、あっという間に視界を白く染めた。
「シン、またね。また……いつか」
 手を振るステラの笑顔は、白い光の向こうへと消えていった。


「シン、起きなさい。もう昼よ」
 ばさりと布団を剥がされる。ぼんやりとした意識が、ゆるゆると現実に引き戻された。
 赤い髪を短く切り揃えた少女が、仁王立ちして自分を見下げている。
「ル、ナ……」
 彼女を見上げると、いきなり顔を覗き込まれた。また家に勝手にあがったなと文句を言う暇もない。
「……どうしたの、怖い夢でも見た?」
 心配そうな彼女の目つきに、思わずシンは自分の頬に触れる。涙がぽろぽろと指の上を流れていった。
 シンは首を振る。夢だとしたら、あまりに鮮明な夢だったけれど。
「いい夢だったよ。泣きたくなるくらい、幸せな夢だった」
 シンのその言葉にルナマリアはそれ以上追求せず、そう、良かったわねとだけ返す。
「さあ、さっさと着替えて来てね。みんな待ってるんだから」
 そう言い置いて、ルナマリアはさっさと隣の部屋へと姿を消す。確かに、扉の向こうがざわついている。誰かが来ているのだろうか。
 身支度を済ませて隣室へと続く扉を開けると、途端にいくつものクラッカーが派手な音をたてた。
「誕生日おめでとう、シン!」
「あ……」
 忘れていた。そうか、今日は自分の誕生日だったとシンは今更思い出す。
 何ぼーっとしてんだ、もっと喜べよ、とヴィーノとヨウランが笑う。悪友達は、わざわざ仕事を休んで祝いに来てくれたのだそうだ。
 そわそわと落ち着かなく目を泳がせている元上司アスランも、ルナマリアによってシンの前へと引きずり出される。
「あ、えっと、おめでとう、シン。プレゼントは、何がいいか分からなかったから、これを作ってきた」
 渡された箱を開けると、やはりと言うかいかにもと言うかハロが入っている。
「き、気にいらなかったら捨ててくれても……」
「いいえ、ありがとうございます。これ欲しかったんです」
 ハロが真実欲しかったかどうかはさておき、アスランに誕生日プレゼントを貰えたということはやはり嬉しかった。今でも、アスランがシンの憧れの対象であることに変わりはない。
「あ、それと……キラやカガリからもプレゼントを預かってきたんだ。受け取って貰えるか?」
「キラさんと、アスハ……から?」
 今までなら、いらないと突っぱねていただろう。けれど、ハイネに言われたことを思い出し、ありがたく受け取りますよ、とアスランに答える。
 後日、あの人達にお礼の手紙でも書こう。一度何処かで会って、話をしてみるのも悪くないかもしれない。今まで思いもしなかったことを考えられるようになった。これが、成長というものだろうかとシンは自覚する。
「シン、どうしたの? なんか今日はえらく素直ね」
 メイリンが目を丸くしている。ルナマリアも妹の言葉に、うんうんと頷いた。
 生きていく限り、ひとは成長し、変わっていく。けれど、変わらないものもきっとある。
シンは、さっきまで居た世界の懐かしい人々を思い返した。
 ケーキにろうそくを立てましょう、と言うアビーの声に皆がわらわらと集まり、こぞってろうそくを突きさしている。ふと、ルナマリアがシンの方を向いた。
「ねぇ、シン。あんたいくつになるんだっけ?」
「……覚えてねぇのかよ!」
 部屋が笑い声に包まれた。



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シンの誕生日(9月1日)に書いた物です。
シンちゃん誕生日おめでとう。
製作者に愛されてなくても人気なくても
私はいつまでもあなたが大好きです。