先輩達がLボートへと乗り込む寸前に声をかける。
必ず迎えに行きますから、と。
特に仲の良かった将陵僚と生駒祐未に、何度も頭を下げては同じことを繰り返す。
そんな蔵前に、祐未はいつもと変わらない気丈な笑顔を見せた。
迎えなんてなくてもちゃんと帰ってくるから。
そう言って、短く切った髪を翻して手を振った。
僚は、そんなに思いつめるなと言った。それよりもあいつを頼むと、託された老犬のことを念押しされた。
「あのこのためにも、生き抜いて下さい」
言いながら、蔵前は泣きたくなった。先輩達を死地に送り出そうとしている側の人間が、生きろと傲慢なことを言っている。僚は曖昧に笑いながら、ぽつりと呟いた。
「俺、何もできずに終わるのが、一番怖かったから」
青ざめた蔵前の頭をぽんと叩き、行ってくると柔らかく微笑んだ先輩に対して行ってらっしゃいと返した声は、涙に埋もれて聞こえたかどうか定かではなかった。
それから三ヶ月経ったある日。
蔵前は、総士から発せられた言葉に耳を疑った。
「テスト、パイロット?」
総士の顔を見返す。無言で頷く冷静な風貌に、かっと怒気が思考を支配する。そのまま、形振り構わず怒鳴りつけてやりたくなった。奥底から、眸がずきずきと痛み出す。感情が昂ぶると、赤く染まった眸の痛みが激しくなることが多かった。
どうにか叫ぼうとした声を飲み込む。痛みがひときわ大きく、頭にまで広がり始めた。
「なんなの、それ……どういうこと?」
呟く蔵前に、総士はひとつ溜め息をつく。昔から頭の良かった彼は、分かりきっていることの繰り返しを嫌っていた。
「きみを、戦闘で使うことはない。そういうことだ」
「どう、してよ……皆城くん、どうして……」
腕が震える。膝から力が抜ける。存在意義を全否定されたかのようだった。
それほどまでに自分は、ファフナーと一体化することが日常となっていたのだと自覚する。
「シナジェティック・コードの形成値が、指標形成に最適だという結果が出た」
「……答えに、なっていないわ」
「つまり、きみを戦闘で使っても、機体の損失にしかならない」
深く俯くと、眼鏡が音をたてて落ちる。偏光レンズに映る眸が赤くないことに、吐き気がするほどの違和感を覚えた。同化現象の初期症状すら、日常になってしまっている。
「じゃあ、私は、今まで……だって、何も」
島の秘密を知っていながら、L計画に参加しなかったのは何故なのか。
笑って死地へと赴く先輩達を見送ったのは、何のためだったのか。
迎えに行くと約束した彼らを、黙ってむざむざと見殺しにしたのは、どうしてか。
みんな、この島という楽園を守るため。そしてこの島を守るための手段として、蔵前果林という人間がファフナーに乗るためではないか。
それに乗れないと言われたなら、いったい今まで何の為に生き長らえ、同化の痛みに耐えて訓練を重ねてきたのだろう。
「厭よ……そんなの」
「蔵前、」
嗜めるような総士の声に、蔵前は顔を上げてきつく睨む。
「馬鹿にしないで。私は、乗れるわ」
「きみは戦いでは使えない。データにしかならない。それが終われば、もうファフナーに乗ることもないだろう。安全な場所で生きていけるんだ」
安全な場所。蔵前はそれを口の中で復唱する。そんなものはいらないと、首を横に振った。蔵前はもう、この島の平和が数多くの犠牲によって支えられていることを知ってしまった。自分が生きるために、誰かが犠牲になってくれたことを身に沁みて理解していた。戦う術を知っているのに、知らない時と同じように誰かを犠牲にして生きるなど、耐えられなかった。
「じゃあ皆城くんは、」
ずきん、ずきんと、両目の奥と頭が痛む。今日はなんだか、いつもより痛みが酷い。
こんな身体になるまで、ファフナーに乗って来るべき戦闘に備えてきた。パイロット候補の中で、自分の他は誰も味わってなどいない痛み。蔵前は、顔を歪めて言った。
「私より訓練も受けていないひとの方が、ファフナーをうまく扱えるって言うの?」
答えは訊く前から分かっていた。それでも、蔵前は執拗に食い下がる。経験が潜在能力に勝ることもあるだろうと、総士がちらとでも思ってくれることを期待して。
しかし、彼はもう一度大きく息をつき、そして冷酷に言い放った。
「少なくとも、僕はそう思う」
瞬間、蔵前は右手を跳ね上げて総士の頬を打った。
からん、と音がして、人間の肌ではない感触がする。
ぴっと、総士の頬に一筋の赤い線がはしった。
「あ、」
総士の頬を打った右手から、緑色の水晶がぱらぱらと床に落ちた。総士の口が、何かを言いたげに開かれる。
蔵前は目を見開いた。掌から、結晶がきらきらと生えている。
綺麗。とても綺麗。
そう呑気に思った瞬間、とてつもない恐怖が身を襲う。植え付けられた知識が警鐘を鳴らす。
これは、同化現象。赤くなったままの眸も、掌から生える緑色の鉱物も、それの症状の一環だった。このまま同化が進行すれば、自分の身体は人間ではなくなる。敵と同じ、金色に輝く存在へと変質してしまう。
遠見千鶴の薬が効いていないわけでは、きっとない。薬の効力を上回る速度で、同化は確実に耐性のひどく弱いこの身を蝕んでいるのだ。同化され尽くされるのも、きっとそう先ではない。その時、自分は何処に行ってしまうのだろうか。
寒気が背中を突き抜ける。足が身体を支えきれずにぺたりと床に座り込むと、両手から生えている鉱物がからからと床に触れた。
『俺、何もできずに終わるのが、一番怖かったから』
そう言って、島を守り死んでいった先輩の顔が脳裏に浮かぶ。彼の気持ちが、たった今初めて理解できた気がした。
あぁ、こんなに怖いことなんだ。
同化されつくすことによって、いなくなることではない。何もできずに終わってしまう、このまま何の役にも立たずにいなくなってしまうことの、恐怖。
皆城くん、みなしろくん。
蔵前は目の前の彼を呼んだ。手を伸ばせば届く距離にいる彼がひどく遠い存在に感じる。目の高さにある総士の拳が、砕けんばかりに握りしめられていた。
まだいなくなることはできない。まだ此処に居たいのに。
掌から生える緑色の結晶と、頭の痛みが収まらない。きっともうすぐ、蔵前果林という人間は此処からいなくなる。
私がいなくなったら、彼はどうなるのだろう。蔵前は絶望的な未来を想像する。
きっと彼は、一人ぼっちになってしまう。父の公蔵とはもうずっと親子らしい会話をしていない。妹は岩戸の中で生涯あのままかもしれない。総士は一人で、誰にも理解されない場所で戦い続けなければならない。
誰か、と蔵前は願った。
誰か、このひとの傍に居てあげて。このひとを理解してあげて。
神にも仏にでもない、岩戸で眠る彼の妹に願った。乙姫ちゃん、お願い。
どうか、世界で一番孤独で悲しいこのひとを、
「たすけて」
ぽつりと、蔵前の口から言葉が落ちる。
総士は少し眉を顰めたまま、目を閉じて唇を噛んだ。
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