偏光レンズを通して見る空は、少し濃く感じられた。蔵前は眼鏡を持ち上げて空を透かせて見る。まるいレンズの中にぽっかりと浮かぶ雲の、その輪郭がはっきりと存在していた。真夏特有の鮮やかな空色に、目の奥がきんと痛むのを感じる。反射的に瞼を下ろすと、隣に居る総士が「同化現象の初期症状か」と気遣わしげな声をかけてきた。
 うん、と頷いて視線をふと落とす。薬を処方されてから痛みで眠れなくなる夜は減っていたけれど、確実に眸の色は少しずつ赤くなっている。身体から緑色の結晶が生えてきたことも一度や二度ではなかった。誰も何も言わないけれど、きっと自分はもう永く生きられないのだろうと蔵前は思った。
 何処までも続く広い空の下、大勢の生徒達が楽しそうに走り回っている。笑い声さえ聞こえてきた。「みんな平和そう」と呟いて、溜息をひとつ吐く。この作られた平和を守るために数えきれない人達の犠牲があることを、この島の子ども達は誰も知らない。自分と、そして皆城総士以外は。
 それでも知らないままでいるより、知って良かったと思った。L計画に赴いた先輩達に笑顔で卒業への祝辞を送るより、必ず迎えに行くと言えたことの方がずっと良かったからだ。本当に、蔵前はそう思っていた。
 そう思っているのに、胸がざわざわと波立つのを感じる。全てを知りながら守られているしかない立場の自分に、苛立ちが募った。この島に居る誰にも、おそらく彼以外には吐き出せない問いが幾つもある。
「誰かが犠牲になって、私達だけ安全な場所にいて、それが正しいのかな?」
 気持ちを抑えられず、感情のままに呟いた問いに、総士は「正しいと願う以外にないだろう」とまるで優等生な答えを返してきた。確かに、願う以外なかった。そんな、何の役にも立たないことしか、今の自分にはできない。
 ふとむなしくなった気持ちを打ち消すよう、話題を変えて「決めたんだって?」と訊いてみる。
「システムに乗ること」
 ファフナーに乗れずに悔しがっているのか、それとも自分の役割として受け入れているのか。そっと横目で盗み見た彼の表情は、長い髪に隠れて見えない。
「……ああ」
 総士がファフナーに乗れないのは、左目の傷が原因と聞いた。
 それを聞いた蔵前は、少しだけ羨ましく思い、また大いに同情した。
「ファフナー、何体あるんだっけ?」
「十二」
「全部、皆城くんが指揮するのよね」
 それは、十二のパイロットと感覚を共有するということだ。
 システムの搭乗者は前線に出ないため、死の危険はほぼ無い。しかし、総士も痛みは同じだけ受ける。蔵前は、総士の細い身体を見遣った。肩幅はしっかりしているものの線が細く、男性にしては華奢な体躯。そんな総士の身体は、十二人分もの痛みを受けてしまえば、外傷は無くとも死んでしまうのではないだろうかと危惧を覚える。
 蔵前の視線に気づいたのか、総士は「なんだ」と照れた時の決まり文句を口にする。
 その様子に少し微笑んだ蔵前は、なんでもないよと返事をした。
「でも、そうね。あなたになら言ってもいいかもしれない」
「何をだ」
「わがまま、ひとつだけ」
 いいでしょう? わたしたち、家族だもの。
 総士は少し眉を顰めたようだったが、黙って聞く姿勢を取ってくれた。何も言わないし表情にも出ないから誤解されやすいのだけれど、彼の確かなやさしさをきちんと蔵前は知っていた。
「私のことを、覚えていて」
 さっと、彼の眸に怒りの色が映る。予想通りだと思った。怒鳴られるだろうか、それとも殴られるだろうか。実際この言葉は、ファフナーに乗れない彼への冒涜でもあった。
 それでも、彼以外にこんなことは言えない。自分と同じようにいなくなる可能性のある人には頼めないし、何より今この島の秘密を知っているのは彼と自分だけなのだから。
「この島が平和になって、ファフナーなんて必要なくなっても、」
「そんなことは約束できない」
 続けようとした言葉を、総士の鋭い声が遮る。
「蔵前、きみはいなくなったりしない。きみだけじゃない、誰も犠牲になんかさせない」
 そう言った総士に、蔵前は少し笑って目を閉じた。そういうことじゃないんだけれど、と言おうとした声をのみこむ。彼と自分の認識制限コードは同じレベルのはずなので、進んでいく同化現象のことを知らないはずはなかった。
「自分がいなくなった後のことなんて考えるな。生き残ることだけ、考えていればいい」
「……皆城くんが、助けてくれるから?」
 俯いた総士を見て、言い過ぎたかと蔵前は肩をすくめる。戦闘時ではともかく、進んでいく同化現象をとめる術など彼が知るはずもなかった。
「ごめんね皆城くん。困らせてごめん」
 それでもきっと、彼は自分がいなくなったら今日のことを思い出してくれるだろう。
 つらくて悲しい思いをしても、自分のことを忘れないでいてくれるだろう。
「ありがとう、ごめんね……そうし」
 蔵前は、俯いたままの総士の手を取った。彼の冷たい手は微かに震えていた。


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