王都バーハラで、反逆者を処刑するメテオの炎が降りそそぐ中、金髪の少女が赤い鎧の青年を背負い駆けた。
あどけなさを残した美しい顔立ちの少女は、立ち塞がる敵を次々に薙ぎ倒し、返り血でその身を赤く染めながらただ一言を呟いていた。
死んではいけない。まだ死ねないのだと。
既にこときれている青年を背負い、ただ死ねないと繰り返す彼女は、左腕がひどく焼け焦げていた。
気がつくとひとり、砂漠で剣を杖にして立っていた。
身体は赫奕たる陽射しに焼かれ、前髪から汗が滴り落ちている。地平の上に見える空が青くて目に沁みた。
どうして自分が此処に居るのか、どういうことがあってこんなことになっているのか、まるで思い出せない。何かしなければならないことがあった。あった筈なのに。
奥歯を噛み締めると、口の中でじゃりと音がする。飲み下した砂は血の味がした。
剣を引き抜こうとして重心をずらすと、そのまま仰向けに身体が崩れ落ちる。起き上がろうと手足を張るが、何故か力が入らない。暫くもがいてみるが、やはり変わりない。諦めて目を閉じた。
熱砂が背をじりじりと焼く音が聞こえ、厭な臭いが鼻をつく。このまま倒れていたら、きっと数刻と経たぬうちに干からびてしまうだろう。
ラケシス
懐かしい声が聞こえる。大切な、愛しい誰かの声だ。
(もう一度呼んで。ラケシスと呼びなさい)
そのひとの声が好きだった。大好きな兄によく似たその声で名前を呼ばれるのが嬉しくて、よく家族ごっこをしていたことを思い出す。
(ノイッシュ)
白濁した意識の中、最愛のひとの姿を見る。彼は昔と変わらず、大きな手で髪を撫でてくれた。生真面目な彼はいつも壊れ物を扱うかのように、この手で髪に触れ、唇を落とし、そして抱きしめてくれた。
いつしか代わりではなく、本当に彼自身を愛しているのだと告げた時、同じ気持ちだと返してくれた優しい記憶が甦った。懐かしいその温もりに身を委ねてしまいそうになり、けれど左腕の痛みがそれを思い留まらせる。
(情けない)
髪を撫でるあたたかい手を振り払う。流れる涙を拭い、強く唇を噛んだ。
いっそ死んでしまいたいと思った。兄を処刑された時と、ノイッシュを殺された時。
けれど泣き叫ぶ自分に、ノイッシュは末期の力を振り絞って告げた。
死んではならないと。
(そう、私は死ねない)
こんな夢を見ている暇はない。私はまだ、死ねないのだから。
ゆっくりと、重い瞼を開く。奥の方でぶちぶちと血管の切れる音がした。動かない手足を無理に動かすと身体が歪み、骨が皮膚を突き破る。焼け焦げた左腕は既に原型を留めていないほどにぼろぼろと崩れ、砂を運ぶ風にさらわれていった。
その様子を見てもラケシスは悲鳴ひとつあげず、満足に動かない身体をひきずって前進する。本当は死ぬほど痛い傷も、どういうわけか全く痛みを感じない。生きているのだから問題はないと、ラケシスは判断した。
(まだ死ねない。ねぇノイッシュ。私は死なないわ)
どうして自分が此処に居るのか、どういうことがあってこんなことになっているのか、これから何をしようと思っていたのか、まるで思い出せない。けれどラケシスは既に、その理由を考えるところにまで思考が及ばなくなっていた。
「死なない。死んではいけない。私、死んでいないわ……」
乾いた喉からかすれた笑い声が洩れ、ただひたすら砂漠を進む。彼女を繋ぎ止めるものはただ、恋人が遺した言葉のみだった。身体は疾うに生命機能を停止し、血は既に流れきっているのに、ただ死ねないという一念だけが彼女の身体を突き動かしていた。
視界は切断され、聴覚は閉ざされた。それでもなお、彼女の口は死ねないのだと言葉を発しつづけ、折れた両足は頑なに前へと進む。
運命の女神を冠した名の少女の姿は、そのまま砂漠の奥深くに消えていった。
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