「アウル、ねぇアウル」
 ステラの、無邪気な笑顔が好きだった。
「なんだよ、馬鹿ステラ」
 僕がそうからかうと、ステラはスティングに言いつける。アウルが意地悪なの、と。
「アウル、もうちょっと優しくしてやれよ」
 スティングはステラに甘い。けれど、同じくらい僕にも甘い。
 ステラはスティングに甘える。けれど、同じくらい僕にも甘えてくる。
 この空間が、何より大切だった。
 他のものをいくつ失っても、この二人だけは、
 忘れたくなかった。



 見送る記憶 なす術もなく 



 揺り籠に入った後、僕らは記憶を都合のいいようにいじられる。
 だから、消されたくない記憶は絶対にバラしたりしない。
 でも、ステラにそんな器用な芸当ができるわけもなくて。
 医師があいつの足に巻かれてあったハンカチに触れた瞬間、物凄い勢いで暴れだした。
「いやっ、これはダメ! あっち行って! 触んないでっ!」
 あーあ。あんなの、「この記憶消して下さい」って言っているようなものだ。
 バカなやつ。呆れながらも、何処かほっとしている自分がいた。
 これでステラは、ザフトのやつのことなんか忘れる。
 僕ら以外のやつのことなんて、あいつは知らなくていい。

 昨日一日、普段にも増してぼんやりしていたステラから発せられた言葉は、「シン」という言葉だけ。多分、助けて貰ったやつの名前なのだろう。
 バカなやつ。おまえが夢見心地で呼んでいるそいつは敵だ。何も知らないでそいつに執着していればいい。揺り籠の後にはそんな記憶、跡形もなく消えているだろう。
 けれど、ステラが「シン」と呼ぶ声はやけに耳障りだ。妙にイライラして、腹がたつ。ステラにイラついていることにもイライラする。何で僕が、あんなバカなやつの言葉でこんな気持ちにならなきゃならない。
 気にするな。自分に言い聞かせる。気にするな、気にするな。
 こんなのは今だけだ。僕ら以外に関心を持っているステラなんて、今だけの幻だ。
 そうやって、僕はイライラを持て余していた。なのに、お前は。
「シン……ステラ、守るって」
 呆気なく、僕の自制心を壊す。いつだって、その無責任で無感動な言葉ひとつで。
 今、なんて言った?
 ステラを、守る?
 その言葉に、がっと心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受ける。
 守る、だって?
「くっ……ははは!」
 あまりに滑稽で、笑い声を抑えることができなかった。ステラは不審そうに僕を見つめる。その何もわかっていない表情を、思わず殴りつけたくなった。
 あいつがステラを守れるわけがない。守るなんて言葉を言うくらいなら、ステラを僕達に返さなければよかったのだ。もしくはザフトになんか戻らず、ステラの傍にずっと居るくらいの行動をするべきだろう。
 守る相手と離れて何を守ろうというのだ。守るための具体的な方法すらないのに、言葉だけ置き去りにするなんて許せない。そんなのは欺瞞だ。自己満足だ。
 守る、なんて言っておいて、あいつはステラに二度と会うことはない。お互い顔も見えないまま、戦場で敵として出会い、どちらかが死ぬまで殺しあわなければならない。
 バカなやつ。ステラもシンとかいうやつも、大バカだ。
 イライラする。何もかもにイラついて、何が気に食わないのかも分からない。
「アウ、ル?」
 ステラが脅えたようにおずおずと声をかける。僕はふん、と鼻で笑うと、ステラの耳元に顔を近づけ、囁いた。
「おまえが守って貰えるわけないだろう」
「……え?」
 腕を回してステラの金髪を掴む。おまえなんか僕の言葉で、揺り籠に入るまで泣いていればいい。
「あいつは敵だ。おまえは戦場であいつに殺されて、死んじまうんだよ」
「っ!」
 ひぃ、とステラの喉が鳴る。顔色が真っ青になり、大粒の涙がぼろぼろとこぼれたと思った直後、意味の無い叫び声をあげて震えだした。もう彼女の視界には、僕の姿など映っていないだろう。
 おまえなんか、ただ戦場で戦っていればいい。海に落ちたおまえを助けたのが僕達以外の誰かで、そいつのことをおまえが大事に想っていたとしても、そんな記憶は必要ない。そんなやつのことは、僕が植え付けた恐怖と一緒に忘れてしまえばいい。
 確かにそう思っていた。
 思っていた、のに。
 何故か手元には、つい数時間前までステラの足に巻かれていたハンカチがある。ステラの血がついた、男物のハンカチ。
「何……やってんだろ、僕」
 潮水でぱりぱりに乾いたハンカチは、もうステラにとって何の意味もない物なのに。
 シンとかいうやつは、ステラの傷を見てこれを巻いてくれたのだろう。きっと、大丈夫、とか、痛くない、とか訊きながら。
 ステラは揺り籠のあと、やはりそいつのことを綺麗さっぱり忘れていて。
 ハンカチを見ても、「なに、これ」と呟いてあっさり手放してしまった。
 そのステラの無表情に、何だか胸がずきずきと痛む。
 こうなることを望んでいたはずなのに。
 こうなってよかったはずなのに。
 僕は、ステラが大事に肌身離さず持っていたハンカチを捨てられずにいた。
「アウル〜」
 ぺたぺたと足音をたてて、ステラが近づいてくる。揺り籠の最適化が効いたようで、さっきとは打ってかわってご機嫌だ。
「スティングがね、バスケしようって」
 いつもと変わらないぽんやりした笑顔。都合の悪いことは何も知らない、知ろうともしないステラ。だって、こいつはバカだから。上司の思惑とか僕らが使い捨ての兵器だとか、そんなこと何も分からないんだ。そんな汚い事情は、知らなくていい。
 僕らは使い捨ての生体兵器、エクステンデットと呼ばれる強化人間。
 だから、何だ。僕にはもう、普通の人生なんて必要ないんだ。哀れんだ目で見られたって、気にならない。
 戦場で戦って、そして勝って、その後には何も残らなくてもいい。スティングとステラさえいれば、それでいい。
 ステラが僕達以外の誰かを大事に想う記憶なんて、必要ない。あんないきなり現れたザフトのやつなんかに、ステラは渡さない。
「おう、そうだな。じっとしてたら身体がなまっちまうし」
 ステラの視線が僕の手中に注がれた気がしたが、興味が無いというようにすぐ視線を外される。やっぱり、もう何も覚えていないのだ。
「アウル、早く行こ?」
 笑顔のステラに、手をひかれる。いつもと変わらない、無邪気で何も知らない幸せな笑顔。幼い頃から変わらない、綺麗な人形のような笑顔。
 こいつは感情が少ない所為か頭が弱いからか、いつも同じような表情をしている。けれど、そういえば昨日はこんな表情をしなかった。
 ハンカチを握りしめていたステラの顔には、恐怖と喜び以外の感情が確かに宿っていた。十年以上一緒に居た僕が、一度も見たことがない表情をこいつはしていた。
『シン』
 誰かをそう呼んでいたステラは、とても幸せそうだった。大切に大切にハンカチを握りしめて、何度も何度もそう呼んでいた。
 けれど、こいつは忘れてしまった。忘れてしまったら、もう思い出せない。揺り籠って、そういうもの。
 どんなに大切なものでも、失ってしまったら二度と取り戻せない。
 だって僕らが大事にするものは、大抵戦闘に必要ないものだから。いらないものは、みんな忘れさせられる。忘れたくなくても、忘れてしまう。泣いても叫んでも、次の瞬間にはその意味さえ覚えていないのだ。
 それが、兵器の運命。
 スティングや僕、ステラが抗えないもの。大切なものを、持つことができない。
 ステラは、幼い頃から何に対してもそう執着をもたなかった。けれど、きっと昨日は違ったのだ。昨日のあいつは、手の中に大切なものをしっかりと握っていた。もう二度と掴むことのできない大切なものを。
 けれど、こいつは忘れてしまった。
 何も知らない、何も覚えていないステラは、今までどおり僕達と笑う。きっと、一番大切なやつのことを忘れたまま。そして、忘れたことを意識しないまま。
 もしあいつに会えたって、知らないと平気で言うのだろう。このハンカチのことなんて、もうただの布きれにしか見えていないだろう。
 あんなに会いたがっていたくせに。守るという一言を、あんなにも繰り返していたくせに。
 あいつ。黒髪に紅い目をしたあいつは、シンとか言ったっけ。
 あいつは、今もステラのことを覚えているのだろうか。
 別れ際にまた会いに行くといった言葉通り、ステラが居るはずもない所を必死に探すのだろうか。見つからなくても、何度も何度も繰り返し探すのだろうか。どんなに想っても叶わないのに、それでも会いたいとステラのことを想うのだろうか。
 そして。
 そうとは知らずにあいつは、ガイアに乗ったステラを殺しに来るのだろうか。守ると約束した少女を憎むべき敵だと信じたまま、ステラに剣を突きつけるのだろうか。もしステラがあいつに負けて死んでしまったら、大切な少女を殺してしまったと泣くのだろうか。
 なぁ、ステラ。
 僕達はお互いが死んだら、きっとその記憶を失う。兵器に悲しみは必要ないから。
 だからもし、スティングやお前が死んでしまっても、僕は泣けない。お前にだって、僕らのために流す涙は用意されない。お互い様だけれど、兵器である僕らは誰の記憶にも残らず消えていく。
 けれど、ステラには覚えていてくれるひとがいる。泣いてくれる存在がいる。僕は、手の中にあるハンカチを強く強く握りしめた。
「忘れ物だ、このバカ」
 ステラが間の抜けた声をあげて、ハンカチを受け取る。よれよれとした皺だらけのハンカチを、両手で広げて不思議そうに見つめた。
 そんな顔するな。それは、お前が持っていなくちゃだめなんだ。
 そう言うとステラはぱちぱちと目を瞬き、不思議そうなままこくりと頷く。それでも心なしか、ハンカチを見つめるこいつの顔が少し笑ったような気がした。
 こいつの綺麗な笑顔が、好きだった。ずっとずっと昔から、好きだった。
 この笑顔を、僕はいつか死ぬその日まで覚えていられるだろうか。記憶なんていつ切り取られてしまうか分からない、不確かなものだ。
 それでも、せめてこいつとスティングだけは覚えていたい。今まで一緒に過ごした日々までなんて贅沢は言わないから、こいつらが存在していたことだけでも覚えていたい。
 けれど、僕は知っている。世の中そんなに甘くない。願い事なんて、願うだけでは叶えられない。それでも幼い頃は願う以外の術を知らなくて、何度か泣きながら祈ったりしていた。
 けれど、叶ったためしがない。覚えている範囲ですら、願い事は全て叶わなかった。
 分かりきっていたことだ。僕らは戦場の駒で、使い捨ての兵器。願うなんて、それは人間のすることだ。
 兵器は願わない。願いや望みなんて、持っていてもどうしようもない。誰かの所有物である僕らは、持ち主の意のままに使われるだけだ。感情なんて邪魔なだけ。
 そういえば、僕を強化人間にしたのは誰なんだろう。顔も名前も知らないけれど、そいつはどうして僕に感情なんてものを残したんだろう。
 こんなもの、いらなかったのに。持っていても、苦しいだけなのに。
 こんなもの無かったら、きちんと兵器として生きて死んでやったのに。
 願うことも祈ることも、喜びも悲しみも知らずにすんだのに。
「ステラ」
 腕を伸ばして、ステラを抱きしめる。不思議そうに、僕の名前を呼ぶ声がした。
 その声を、この身体の温かさを、忘れたくないと思う。
 けれどこいつがいなくなったら、この気持ちも消されてしまう。一緒に過ごした時間を丸ごと切り取られて、何処かへ葬られてしまう。
 そして、こいつがいなくなったことなんてまるで知らずに、僕は笑うのだろう。大事な記憶をなくしたことを知らずに、笑うのだろう。
 ほんとうに僕らは、大事なものを何一つ持てやしない。
 溜め息が洩れる。いつの間にかこぼれた涙が、ステラの肩をつたって落ちていった。
「アウル、どうしたの?」
 何処か痛いの、とステラの心配する声が聞こえる。
 痛い。とてつもなく痛い。けれど。
 こんな気持ちを、僕は知らなかった。
 ただ涙だけが、止まらなかった。


 どうした、とスティングに眉を顰められる。
 先程からくすぶり続けている妙な違和感を、やっとの思いで具体的な言葉に変換した。
「なんか大事なこと、忘れてる気がするんだよな」
 僕はまた、忘れてしまったのだろうか。忘れる前にきっと、忘れたくないと思っていたものを。
 何かって何だよと訊ねるスティングに、わかんねぇと八つ当たり気味に怒鳴り返す。
 すると視界の端に、何かが映った。
 それは、血がついた皺だらけのハンカチだった。どうやら男物のようだ。
「これ、誰の?」
 さぁ、とスティングは興味が無さそうに返事をする。
 少し考えたけれどやっぱりわからなくて、僕はふいとハンカチを投げ捨てた。



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シンステラブな私ですが、アウステも愛。
けどどうしてもシンステ前提になるのが涙。
アウルはスティングとステラがすごく大事なんです。
「おまえはここで死ねよ」とか言いながらも絶対大事なんです(ハイハイ)
ファントムペインももっと出番が欲しかった(涙)