「副隊長……!」
隊員の声が聞こえる。虚の爪が左の肩口に喰い込む音がして、気が遠くなりかけた。
「っ……く、」
背に庇った新入りの隊員は、がたがたと震えている。早く逃げなさい、と叫ぶと同時に振り返り、愕然とする。
「あ……」
隊員の顔に、白い仮面が貼りついていた。ぴしぴしといやな音をたてて侵食されていく。隊員の手が自身の顔に触れ、狂ったように叫び声があがる。
「う、あ……ああああああああ!」
未だ侵食を免れている目が、雛森を見つめる。涙を流したその目に映る自分は、驚くほどに冷静な表情をしていると、雛森はまるで他人事のように思った。
「助けて、助けて下さい副隊長……! いや、いやだ、助けてぇっ!!」
ぎりと奥歯を噛み締め、目に力を入れて涙腺を締める。後ろを振り向いている間に、前に居る虚は既に雛森の身体を数箇所切り裂いていた。
死覇装の左肩は、ぼろ布のようになって噴き出した血に貼り付いている。ぼたぼたと、地に血が還って足元から赤く染めていく。
止血をしなければ、百を数えるまでに動けなくなるだろう。
これ以上、考える時間はない。
「……弾け、飛梅」
斬魄刀の名を口にし、切っ先を泣き叫ぶ隊員の喉元に突きつけながら、さようならと雛森は呟いた。
泣くな。雛森は自身にそう言い聞かせる。
斬った肉の手ごたえと、むせかえる血の臭い。手が震え、赤く濡れた飛梅がカタカタと鳴る。
「……っ」
目をきつく閉じ、唇を噛み締めるが、それでも洩れる泣き声。それが先刻斬った人の声に似ているような気がする。
助けて、と泣いていた声。
目のふちを濡らしていく涙を紛らわそうと、何度も瞬きを繰り返す。
私が殺した。助けてと懇願する声を無視して、一刀のもとに切り捨てた。
私は、助けることができない。死神はいつでも、終わらせることしかできない。
それでも構わないと、思っていたはずなのに。
「ごめんね、助けてあげられなかった。ごめんなさい……」
ぐらりと、視界が傾ぐ。血を流しすぎたか。雛森は、そのまま自身の血が染みた地に倒れこんだ。
傷を治して貰った後、庇いきれなかった隊員の墓へと赴いた。
新入りで隊の末席だった彼の顔は、雛森の記憶に明確な像を結ばない。既にふわふわと曖昧にしか思い出せないのだけれど、それでも悼む気持ちに変わりはない。
偽善者だと言う声があるのを知っている。そんなことだから駄目なのよ、と囁かれているのも知っている。そんな評判は、藍染隊長に取り入って副隊長の座に就いたという噂に拍車をかける。
それはとても悲しいことなのだけれど、自分が間違っているとも思えない。駄目だと言われてもいい。これが私なのだからと、雛森は最近思うようになった。
そんなふうに強く心を持てるようになったのは、彼のおかげなのだろう。
共同墓地の前に、白い隊長羽織が風になびいていた。
「日番谷くん」
幼馴染みの十番隊長は、忙しい癖によく目の前に現れる。その理由は述べずに、眉間の皺を増やして文句を言いに来る。大概は雛森がドジをしたとか、雛森がうるさいとか、雛森がのろまだとか、なんでも自分の所為なのだそうだ。
それなら、放っておけばいいのに。けれど、彼はいつも私の傍に来てくれる。悲しいことやつらいことがあったら、必ずと言っていいほど傍に居てくれる。
「死神の自己管理は必須だ」
彼が口を開いた。いきなり何のことかと思ったが、左腕に痛みを覚えてあぁそうかと頷く。傷を負ったことを、この年下の幼馴染みにまた叱られるのだろう。
「はい」
そう思って、雛森は素直に頷いた。
「虚に襲われたら、自分で自分の身は守るもんだ」
「そうですね」
「だから、それができないやつは半人前なんだ。わかるか?」
「仰るとおりです」
彼の言うことはいつも正しい。ただ、正しすぎる。それが腹立たしい時だって、やはりあるわけで。たとえば今とか。
「だから、お前の所為じゃない」
「え?」
曖昧に微笑んで幼馴染みの言葉を聞き流していた雛森は、その言葉に少し驚く。
回転の足りない頭で数秒考えた後、やっと得心がいった。
「あぁ……そ、っか」
彼の優しい気遣いが、ゆるゆると心に沁みる。きっと隊員を守れなかったことを悲しんでいると思って、そんなことを言っているのだろう。
「ありがとう」
すれ違いざまにそう呟くと、彼が後についてくる。一緒にお参りしてくれるのだろうか。
「礼なんていい。本当に分かってんのか?」
「分かってるよ、大丈夫」
墓石に桶の水を柄杓でかけ、花を活ける。線香を立て火をつけると、細く長い煙が空に昇った。
青い空は晴れすぎているほどに青くて明るいので、雛森はわざと間延びした声を出す。
「もう、転生したのかなぁ」
背後からは、さぁな、という声が返ってきた。
「此処に居たことは、覚えてないんだよね」
そうだな、とまた返事をくれる。
「助けられなかったこととか、うっかり覚えられていたらどうしようかなぁ」
ぴくり、と眉を顰める気配がする。
自分の所為じゃないと言ってくれる彼の存在は、とてもありがたい。
でも、結局のところ自分でそう思うようになれないと、どうしようもないのだ。
「助けてって、泣いてたの。私より大きい男の人だったのに」
空を見上げる視線を外さないままに、あの時のことを思い出す。
「助けてあげられないって分かってたから、助けてあげようともしなかった」
後悔はしていない。他に方法があったとも思えない。けれど、考えてしまう。
自分がもっと有能で、もっと早く片をつけられていたら、失わずに済んだ命だったのかもしれないと。
返る言葉はない。ただじっと息を詰めて、幼馴染みは言うべき言葉を考えているのだろうか。
「それなのに、泣けてきちゃう……あぁ、駄目だね、私」
「泣けばいい」
「やだよ、カッコ悪いもん」
溢れてくる涙を抑え、首を振って深呼吸をひとつ。
大丈夫と言った言葉に偽りなどない。私はまだ、大丈夫なのだと、雛森は呟いた。
「ねぇ、シロちゃん」
「……日番谷隊長だ」
「私が死んだら、泣いてくれる?」
雛森に顔を覗き込まれて、否応なしに視線を合わせられる。昔から彼女は、こういうことをよく口にする。その時に見せる表情が、日番谷は何より嫌いだった。
「殴るぞ」
「……私ね、」
そのままそっと顔を近づけて、こつん、と額を合わせる。日番谷の額は熱くて、こんなところはまだまだ子どもだなと、雛森は安堵の息をつく。
「あなたが居るから、生きていけるの」
大袈裟だと言われるかもしれない。けれど、本当なのだから仕方ない。
日常のつらいことは、蓄積されれば深い傷になる。それを溜め込んでうまく発散できない自分は、彼の存在にいつも救われていた。
強く心を持てるようになったのは、彼のおかげ。
きっといつか、今悩んでいることも大丈夫になる日が来るだろう。
彼が傍に居てくれる限り、それは確信に近い予測だった。
いつもそうだ。
いつだって、未来を信じて走ることが出来た。
それは、走り出そうとする自分の背を押してくれる存在がいたから。
転んだ時や立ち止まった時でも、思う存分泣いて喚ける場所があったから。
もう駄目だと思って挫けても、引っ張ってくれる手があったから。
「だからこれからも、こうやって弱音を吐かせてね」
ぱちりと翡翠のいろをした眸が瞬き、長く溜め息を吐かれる。面倒だ、と呟く声が聞こえて、雛森は微笑んだ。
くるりと踵を返す幼馴染みを、まるで夢でも見るような心地で見つめてみる。
彼が自分の傍を居場所にしてくれたことを、今更ながら心底ありがたいと思えた。
「何やってんだ、帰るぞ……桃」
ぎこちなく差し出された手を、そっと握りしめる。幼い頃は数えきれないほど手を繋いだのに、今更頬を染めている彼が愛らしい。
「うん、シロちゃん」
大丈夫。この手がある限り、私はちゃんと此処に居られる。
銀色にひかる髪の向こう、陽のひかりに透けた先に虹が見えた。
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