いつものように、いつもの場所でレイリアを待つ。
 後ろに束ねた黒髪をなびかせ、息を弾ませながら走ってきた少女は、吸い込まれるように魅力的な笑顔を向ける。
「リーン、ごめんね遅くなって。今日の興行ちょっと長引いちゃったの」
「お疲れ様。どう、繁盛している?」
「えぇ、ダーナ城主のブラムセル様が見に来て下さったの。うちの一座から城主お抱えの踊り子が出るかもしれないって、みんな最近張り切っているわ」
 私には関係ないけれどね、とあっさり言い放つレイリアは、踊り子という職に不似合いなほど欲が無い。歳はさほど変わらないのに、切れ長の目は時に年齢よりも彼女を大人びて見せた。
「ねぇ、レイリア。そんな時に申し訳ないんだけど、あの勧誘ってまだ有効?」
 ぱちり、と音がしそうなほど長い睫毛を瞬かせ、レイリアは数秒リーンを見つめた後、きゃあと黄色い歓声をあげた。
「勿論有効よ! その気になってくれたのね!?」
「うん。もう修道院なんて辛気くさい所、出て行きたくなっちゃったの。でも私なんて小娘だし、一人ではとてもやっていけそうにないじゃない。だから、暫く一座の末席にでも加えて貰おうと思って」
「なに言ってるのよ! リーンならダーナ城主のお抱えになれるわ!」
「もう、それならレイリアの方でしょう? あなたは私の師匠じゃない」
 リーンがレイリアと知り合ったのは、今からふた月ほど前のこと。お互いに歳の近い友達がいない二人はすぐに打ち解け、週に三回ほど会っては共に時間を過ごすようになった。初めは他愛もない会話を楽しむだけだったのだが、ある日戯れにレイリアがリーンに踊りを教えてみたところ、みるみるうちに上達して天性の才能を花開かせたのだった。この上達ぶりには一座で人気の上位を保っているレイリアも舌を巻き、リーンに一座に入る気はないかと再三持ちかけていたのである。
 座長に話しておくわねと、嬉しそうに走り去るレイリアの姿を見送り、リーンは深く溜め息をつく。同時に、疑うことを知らない彼女の素直な性格に感謝した。
 友人に嘘をつくのは、こんなに気分が悪くなるものなのか。
 修道院を出る気なんて、本当は昨日まで無かった。
 急に態度を翻したのは、育て親がもう永くないことがわかったからである。


 育て親は、とても優しいひとだった。
 暗黒神信仰が推進されているこのご時世、ブラギ教の教会や修道院は経営が厳しい。暗黒神信仰を善しとしない人々の拠り所となっているのには違いないが、皇帝陛下の詔勅に逆らうわけにもいかないので、表立って寄付や援助をする人々は少なかった。
 そんな中、何処の誰とも知れない女性に預けられた赤ん坊だった自分を、十を越えるまで育ててくれた。明らかに厄介者の自分は、修道院では肩身が狭かったけれど、それでも育て親が居る限りは居場所を確保できた。
 けれど、そろそろ出て行かなくてはならない。
 荷物をまとめていると、育て親が何処へ行くのと訊ねる。リーンは、此処を出て行きますと返事をした。見上げた育て親の頬は血色が良く、まるでいつもと変わらないように見えた。
「出て行くことなどないのですよ、あなたは此処に居れば良いのですから」
 柔らかく微笑を湛えた彼女は、いつもと同じように言う。きっともうすぐお母様が迎えにいらっしゃるわと続く言葉を、リーンは睫毛を伏せながら聞いた。
「ありがとう……でも」
 そんなに子どもじゃない。母が来ないことくらい分かっている。赤子だった自分を預けた際、必ず迎えに来ると言ったらしい母。その言葉を疑うわけではない。けれど、十年以上経っても来ないのは、何処かで野垂れ死んでいるか余程の事情があるかのどちらかだろう。現実にならない願いに縋るほど、リーンは神を信じていなかった。
「もう、此処には居られません」
 この優しい育て親は、あと数日のうちに天へと召されるだろう。そしてそれを知っているのは、今のところ自分だけだという確信がリーンにはあった。
 これは、生まれつきだったのだろうか。
 リーンには、近々死んでしまう人間の胸、ちょうど心臓のあたりに穴が見える。最初は針で突いたように小さい穴がぽつりと空き、幼い頃は不思議に思った。それは日が経つにつれて広がっていき、左胸を覆うほどの大きさになるとその人間は死んでしまうのだ。ほぼ十日前後で、穴は完全に心臓を侵食する。
 リーンは、育て親の胸に空いた穴に手を伸ばす。親指ほどの穴は、ゆっくりとしかし確実に彼女の胸に広がっていく。
 誰にでも分け隔てなく優しくて、誰からも愛されるひとだった。こんなに早く天に召されるのは、きっと神に愛されているからなのだろう。
「ご恩は忘れません、シスター……お元気で」
 困ったように微笑み、またいつでも帰ってらっしゃいと、手を祈りの形に組まれる。
 そんな彼女の最期を看取れないことだけが、残念だった。


 レイリア以外の人に踊りを見せるのは初めてだったので、いきなり舞台を踏むよりも肩慣らしをしてみようと思い、伴奏もなしに一人で踊ってみた。
 大気の流れに身を委ね、そよぐ風の音と木々のゆらぎに合わせて身体を動かした。頭の中は真っ白になって何も考えられず、ただ導かれるようにくるくると舞った。
 ひとさし舞い終わると、盛大な拍手が周囲から送られた。
「すごいじゃない、リーン! 街角でこれだけ人を集められるんだもの、一座の舞台でならきっともっと素晴らしいわよ!」
 いつの間に来ていたのか、レイリアが頬を紅潮させリーンを褒め称える。まだ何処かぼんやりとしている頭ではまともに返事が返せぬまま、ふらりと周囲を見渡した。
 今日は、鎧を装着している人が多い。傭兵だろうか。
「あぁ、」
 リーンは思わず目を閉じる。傭兵達の胸に、黒々とした大きな穴が見えた。
 これからきっと、相当激しい戦をしてくるのだろう。此処に居るほぼ全員が、生きて返っては来られない。
 暗澹たる気持ちで目を伏せると、拍手の続く輪の中、こちらに歩み寄る人影があった。
「……」
 しかし相手は何も言わないので、リーンは顔をあげる。金色の長髪に黒い鎧。背に負った禍々しい大剣。噂に聞いたことのある人物と特徴が一致している。
「あんた、黒騎士ね」
 黒騎士アレス。鬼神の如き強さで幾つもの戦場を駆け抜け、その姿を見た敵は必ず彼の持つ魔剣に喰われるという。その魔剣は千の人血を吸ったと言われており、戦場で赤く神々しい光を放つとも聞く。
「いい、踊りだった」
 どうやら賛辞を送りたかったらしい。素直にありがとうと応え、ついでリーンは目を見張った。
「な、に……?」
 黒騎士の背後に、雄大な草原が見える。それは砂漠の国では見ることの出来ない、瑞々しく柔らかい草が生きる土地だった。
 今まで見えるものと言えば、人の死期を示す胸の穴だけだった。けれどこの男の後ろに見えるものは、見たこともない風景。これが何を示すのか、リーンには分からない。ただ、この男にとっての大事なものか、原風景のようなものではないかと漠然と感じるものはあった。
「あんた、何者?」
「……? おかしなことを言うやつだな」
「じゃあ、言い方を変えるわ」
 黒騎士と呼ばれる男を、真っ直ぐに見据える。悠久に続いているような草原と、その上に広がる青空は、見たことがないはずなのに何故かとても懐かしい気持ちになる。
「何を背負っているの。何を求めているの」
「…………」
 彼が眉を顰める。それはけれど、不愉快という表情ではなく、どちらかと言えば驚愕の意を示していた。
「黒騎士、あなたは……何を、なくしてきたの?」
 くっ、と彼の喉が鳴る。見通されているようだと言いながら、彼は笑った。
「おまえ、名は?」
「リーンよ」
「占い師になった方がいいんじゃないか?」
「そうね、歳を取って踊れなくなったら」

 これが、アレスとの出会いだった。
 そして、最初に見たあの草原が彼の故郷の風景だと知るのは、まだ先のこと。


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