お花見、今年も行かないのと雛森は困ったように笑った。手元の書類から目を離さず、俺の勝手だろうとだけ返す。その理由は多々あるが、本当のところは言ったためしがない。毎年彼女への言い訳に使うものは、人付き合いが苦手だとか気分が乗らないとか、どれも表層的なものだけだった。
そのことに気づいているのかいないのか、毎年彼女は自分を誘い、そして断られる。日番谷くんがいないとつまらないよ。そう言って、彼女も毎年花見には行かずに十番隊の執務室でただじっと座っているのだ。何をしているのだと問う気にもなれない。この幼馴染みの行動に、考えるほどの理由は大抵無い。
「日番谷くん、」
呼ばれたので顔を上げた。春の陽射しは、そういえば黄色く見えたか。雛森の顔に当たって眩しくて直視できない。思わず目を細めると、微笑んだ雛森の唇から言葉が聞こえた。
「ひとをころしたことはある?」
それは予想だにしない言葉だった。驚いて光を押しのけて瞼を上げると、雛森は変わらない笑顔でただそこに居た。いつもと変わらない表情に何故か途方もない不安と胸騒ぎを感じた日番谷は、眉を普段より顰めて何言ってやがると凄む。どくどくと心臓が暴れ出し、霊圧も制御できていないのか部屋の温度が下がりはじめたようだ。席官クラスの死神でも萎縮し震え上がる日番谷の霊圧を前に、雛森は少しも臆さず言葉を続ける。
「わたしは、あるよ」
「馬鹿言え」
「あるんだもの」
ぱりぱりと凍り始める空気を眺め、どうして怒っているのとでも言いたげに雛森はちょこんと首を傾げる。ふざけるなと荒げようとした声は声にならず、ぽたりと落ちた汗が睨みつけていた報告書に円い痕を作った。気温は凍えるほどに寒いくせに、身体は火照ったように熱い。その様子を見て雛森は少し笑った。
「ころして、埋めたの。桃の木の根元に埋めた。
……綺麗だったな。夜なのに、桜が闇にぼんやり浮かんでいてね。全然暗く感じなかったから、怖くなかったんだ。それから七日して、死体を埋めた木に花が咲いた。血のいろをした赤い花なの。それが頭上から降って、本当に血みたいだった。私がころした時に浴びた血と同じくらい赤くて、でも比べ物にならないくらい綺麗だった」
日番谷の目に、情景が浮かぶ。幼い少女が闇夜に誰かを殺している。鎌のようなもので、何度も何度も振り下ろしている。断末魔の声が聞こえ、やがて少女の泣き声へと変わる。白く浮かぶ夜桜に照らされた少女の顔は血にまみれ、雛森と同じ顔をしているようだ。
「それが、」
途切れてしまった日番谷の声に、雛森はなぁにと訊き返す。相変わらず能天気な声だ。
たまらなくなって、日番谷は雛森の手首を掴む。ほそくて白い、一点の曇りすら見えない手。けれどこの手で、今は刀を振るっている。血に汚れたこともあるのだろう。
「それが、どうしたんだよ」
ずっと昔、まだ流魂街に居た幼い頃、この手を握って誓ったことがある。口に出したことは一度もないけれど、何度も何度も自分に言い聞かせた。
「シロちゃんこそ、どうしたの」
そっと雛森は頬を寄せ、耳元で囁く。ほっと熱い吐息が日番谷の耳殻をかすめた。
「そんなに意外だったの。私がひとをころしたことが」
ぺたり、雛森の手が頬を撫でる。触れられたところから赤く染まっていくような心地がした。雛森の黒々とした眸が見据えている自分は、内心とは裏腹に不思議と落ち着いた顔をしている。
意外だと思ったわけではなかった。ただ日番谷にとって、雛森はそういう存在であってはならなかっただけだ。血の味も肉の裂ける音も誰かを殺した時の恐怖感と寂寥感も未来を絶たれた悲愴な声も、全てこの幼馴染みが知っていい世界ではなかった。
「おまえ、全部知っているんだな」
「しってるよ」
曇りの無い笑顔に、何度救われてきたか分からない。何も知らない能天気なままの少女であってくれさえすれば良かった。それが、日番谷の知る雛森という少女であれば良かった。
「日番谷くんが、桜を見ない理由を、しってるよ」
呼吸がとまった。瞳孔が開いたかもしれない。制御を無くした霊圧は暴走し、雛森の笑顔はみるみる氷で覆われた。青ざめた唇だけが滑らかに動き言葉を紡ぐ。
「あなたがわたしを 桜の根元に 埋めたから ね」
膝が崩れた。震えの止まらない顔を覆うと、遠くの方から謝罪が聞こえる。ごめんねと言う雛森の声を、聞きたくなくて耳を塞いだ。天井から垂れた氷柱がぱきりと折れる。自らの霊圧で凍った部屋を溶かしながら、ちょっと寒いと雛森は呟いた。
(それは今際の言葉と同じだと 知っているのかいないのか)
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