囚われている。
倒したい獲物に、囚われている。
「雛森ちゃん」
標的は決まった。あとは射落とすだけだ。
けれど狙いは定まらず、私はいつまでも弓をひけずにいる。
そんな、腕の悪い狩人のような気分をずっと味わわされた。
幼馴染みを思わせるような銀髪。何を考えているのか分からない貼りついた笑顔。
他人に興味がなく、けれど常に興味の対象を求めている雰囲気を感じ取る。
「雛森ちゃん」
その声が私を呼ぶ。
以前は笑顔を作っていたが、何故だか全て感情を見透かされてしまうので、顔の筋肉を弛緩させたまま振り向く。
「はい、市丸副隊長」
目線を交差させると同時に、前髪を片手で梳かれる。ちなみに後ろを向いたままだと、お団子の飾り紐を解かれる。この男にとって、私は恰好のからかい対象なのだ。
「相変わらず君は可愛らしねぇ。笑うてくれへんの?」
「御用は何でしょうか?」
呼び止められては他愛のない話ばかりされるので、さっさと切り上げてしまうに限る。
御用がございませんのでしたら仕事がありますので、と立ち去ろうとした。
「待ってぇな」
市丸副隊長の声が耳元で聞こえる。いつの間にか後ろに回りこまれ、耳元で囁かれたことを数瞬遅れてようやく理解する。
悔しくて、唇をかみしめる。
標的は決まった。あとは射落とすだけだというのに。
なのに、獲物のなんと俊敏で狡猾なことか。この男を射落とすには、あまりに格が違うことを思い知らされる。五番隊に配属されてからずっと、悔し涙を流さない日は無かった。
この男を、倒さなければならない。倒して、副隊長の地位に就かねばならない。あのひとの役に立つ為に。
私は、飛び退くか、振り払うかの行動をすべきだろう。だというのに、身体は何の反応も示さない。敵わないということを、本能が知っている所為だろうか。
「……まだ何か?」
震えている右手を後ろから掴まれる。冷や汗が頬をつたうのを感じた。
「ほんま可愛らしね。食べてしまいたいくらいやわぁ」
市丸副隊長の唇が、私の耳に触れる。冷たい手とは違う温かい吐息に、ぎくりと胸が音を立てた。
「そうそ、用事ってな。彼のことやで、雛森ちゃん」
「え?」
「ほら、君の前でボクのこと睨んでる子」
そう言われて、弾かれたように前を向く。銀髪で碧眼の、幼馴染みが居た。
「ひつ……がや、くん」
いつから居たのだろう。全く気づかなかった。霊圧を消されていても、鬼道には自信がある。大抵は感知できるはずなのに、気づかなかった。そしてその理由は、幼馴染みの姿が全て物語っていた。自分より格上の相手の霊圧ならば、消されたら気づけるはずもない。
「隊長、羽織……?」
「そ。あの子が、新しい十番隊の隊長さんやよ」
噂には聞いていた。真央霊術院を首席で合格、瞬く間に飛び級、斬魄刀を発現させた三日後に卍解を取得するという離れ技をやってのけ、年齢も経験も飛び越えられるほどの才能を持った天才児の存在。そしてその天才児が、今日十番隊隊長に就任したということも。
けれど、それが幼い頃から一緒に育った幼馴染みだということは、今の今まで知らなかった。
「雛森を離せ、五番隊副隊長」
眉間に皺を寄せ、日番谷くんが私の背後を睨みつける。じわじわと発せられる強大な霊圧に、肌がぞくりとあわだった。
怒りに満ちた懐かしい顔を眺め、最後に会ったのはいつだっただろうとぼんやり思い返す。
そう確か、私の護庭十三隊への配属が決まった時だ。その時、彼は霊術院に入学したばかりだった。
その時はもっと小さくて、あどけない顔をしていたのに、たった数年で大人のような表情をするようになった。そのことに淋しい思いをしながらも、心の何処かで安堵する。彼は誰よりも早く、大人になることを望んでいたから。その理由は、ずっと教えてくれなかったけれど。
「いやぁ、隊長さん怖いわぁ。大事なお姉さんを取られたないんですか?」
「聞こえなかったか? 無駄口叩いてねぇで手を離せ」
いつの間にか曇った空から、ぱらぱらと氷の粒が降る。氷輪丸が、彼の怒りに呼応して嘶く声が聞こえた。
高まり続ける霊圧は、既に上限が無いかのように膨れ上がっている。私は強大な霊圧に射竦められたように身動きが取れず、ただじっと目の前の空気を凝視する。これが、ずっと一緒だったあの幼馴染みなのか。
さすがにまずいと思ったのか、市丸副隊長は私を解放する。
「はいはい。お邪魔虫は退散しますよってに、堪忍したって下さい」
またね雛森ちゃん、と手を振られたと思うと、彼はあっという間に見えなくなった。
傍の霊圧が、急速に縮んでいくのを感じる。幼馴染みの姿形も懐かしければ、この霊圧も同じように懐かしい。日射病になった時は冷やして貰い、しもやけになった時はあたためてあげたことを思い出す。不意に、潤林安が恋しくなった。
「おい、雛森」
「あ、」
感傷から抜け出し、数年ぶりに再会した幼馴染みに向き合う。眉間の皺が深く、不機嫌そうな表情は全く変わっていない。大きな変化といえば、背が伸びたところと髪型が変わったことくらいだろう。
「お前、鈍くさいところちっとも変わってねぇな。それで護庭の死神が勤まるのかよ」
日番谷くんこそ、その悪い口変わってないねと言い返すと、日番谷隊長と呼べと言われる。そうか、既にこの幼馴染みは隊長なのだ。隊長でなかったのなら、新入りのくせにと息巻いてやりたいがそれもできない。
「私が鈍くさいとかじゃなくて、市丸副隊長はお強いの。多分、シロちゃんでも敵わないんじゃないかな」
「バカ言うな。俺の方が強いに決まって……ってお前、また俺をシロちゃんって呼んだな?」
「あ、ごめん。昔の癖でつい」
勿論ワザとだけれど。仮にも先輩なんだし、これくらいの報復はしておきたい。
「あの副隊長、いつもお前にちょっかい出すのか?」
「……」
私の標的。倒さねばならない獲物。
なのに。
いつもいつも、囚われているのは私の方。
何もかもが敵わない。力も技術も霊力も、駆け引きや言葉選びも何もかもが。
攫ってしまいたい、奪ってしまいたい、壊してしまいたい、だって君は可愛いから。
そう言った唇がにやりと歪み、いつもは見えない目の光が私を射抜いた。それは、獲物を狩る目だった。愛とか執着とか、そんな言葉とはおよそかけ離れたあの男の欲望に、初めて純粋な恐怖を感じた。気を失うほどの眩暈とともに。
囚われているのは、私。
「だいきらい」
攫ってしまいたい、奪ってしまいたい、壊してしまいたい、
自分だけのものにしてしまいたい。
そう思っているのは、私。
だいきらいなあのひとを、
誰よりも、誰よりも激しく、
求めているのは、私。