他人に、興味なんてない。
 昔からそうだった。母親と妹以外の人間と、関わりたいなんて思ったことはなかった。
 その二人がフリージの人間に連れ去られ、シレジアに一人残された自分は色々な人間に情けをかけて貰い、あるいは利用され、たまには利用して生き延びてきた。
 意識したことはなかったが、容姿はそれなりに良いらしく、言い寄ってくる女も何人かいた。完全な遊びから、本気で好意を向けてくる者まで様々だったが、結局自分は彼女達に執着することはできなかった。
「アーサー、何してるの?」
 それでも、最近はこの天馬騎士の少女とよく一緒に居る。おかげで、付き合っているんじゃないかという噂が飛び交っているらしい。娯楽の少ない軍内で、色恋沙汰は恰好の話題になる。肯定も否定もする気のないアーサーは、近頃噂の真偽について問い詰められてばかりいた。
「何も。ぼーっとしてた」
 草むらに転がり、空を眺めて暇を持て余す。あと幾日と経たず、砂漠を南下してレンスターへと向かうのだろう。じきに灼熱の中を進軍することを思えば、せめてそれまでは柔らかい風の吹くこの土地を満喫していたかった。
「嘘、眉間に皺がある。あのこと気にしてるんでしょ?」
「……言い過ぎたとは、さすがに思う」
 この相棒には、隠し事ができない。フィーは、自分から見れば放っておけば良いようなことに首を突っ込みたがる。良く言えば世話焼きで、悪く言えばお節介だ。それが底抜けに明るい性格の所為か、育ちの良さなのかは知ったことではないが。
 けれど、自国民以外は排他的なシレジアで、明らかに外見から他国の人間だとわかる自分にも屈託無く声をかけてきてくれたことは幸運だった。おかげでイザークまで天馬に乗せて貰えたのだから、多少の喧しさは我慢しよう。
「あの子には関わらない方がいいわよ……シレジア王の養女なんだから」
「別に、関わりたいと思ったわけじゃない」
「また嘘。普段なら、戦場で庇われたからって怒ったりしないでしょう? あんたが自分から他人に声かけるなんて、干渉したいと思った証拠よ」
 そっちこそ、という言葉を言いかけて飲み込む。フィーの方こそ、彼女を気にしている。
 理由はわかっている。フィーはシレジア王の娘だからだ。
 本人が隠しているつもりでも分かる。自分の魔力そのものは大したこと無いが、人の霊気を見分ける能力にはどういう訳か天賦の才があったらしい。風精の守護を濃く受けている彼女は、シレジア王家の血を引く生粋のシレジア人だ。
 そして、あのユリアという少女。
 まだ全て解放していないようだが、桁違いの魔力量。そして扱いの難しい光精を操り、自分と同じ火精からの守護も得ている。
 間違いない、という確信があった。彼女は、血縁だ。
 あんたが自分から他人に声かけるなんて、干渉したいと思った証拠よ。
 天馬騎士の少女が言った言葉は、ぎくりと自分の胸を軋ませた。よく見ているものだと、アーサーは軽く舌打ちをする。自分の才を信じるのなら、ユリアは他人ではない。しかも父方の親戚なんて、思い当たるだけでも此処では言うのも憚られるような人物ばかりである。
 フィーの刺すような視線を感じ、アーサーはこっそり溜め息を吐きつつも立ち上がる。
「そうだな、謝ってくるよ」
 同じ血を持つ者にしか関心を抱かない自分は、その感情に乗じてユリアに言葉を投げた。
 ほぼ初対面という割には、不躾すぎる言葉を。



 あれは、三日ほど前。
 制圧したばかりのリボー城の一室をあてがわれた救護班の詰め所でのことだった。
「ふざけんなよ」
 杖の光を当てられ、傷が癒えていく銀髪の少女に向かって怒鳴りつけた。
 戦闘後の治療でざわざわと騒がしかった周囲が、ぴたりと静かになる。当のユリアは、緩慢な動きでこちらへ視線を向けた。
「……どういう、意味ですか?」
 動作に応じた、ゆったりとした言葉だった。それすらも、アーサーの神経を逆撫でする。
「わかんねぇのか? あんたなら、敵を一撃で殺せたはずだ」
 この少女は、戦場で光の魔道書を使っていた。リザイアという名の書で、希少価値はとても高い。実物を見たのは、アーサーも初めてだった。それは、相手の体力を吸い取り自分のものにできるという、ほぼ禁書レベルの魔法を秘めた古代の遺物である。けれどその分、使い手も滅多に居るものではない。皇家の血を引く者……セリス公子が指揮を執っているとはいえ、人数がけして多いとは言えない軍内にこれほどの使い手が居るとは思わなかった。
 その魔道書を難なく操り、彼女は眉一つ動かさずに対峙する敵の体力を吸い取っていった。ばたばたと倒れていく敵はびくともせず、死んでいるように見えた。
 けれどユリアに倒された敵は皆死んではおらず、身体を動かす体力を奪われただけだったのだ。それが、危険を招いた。
『危ないっ!』
 普段は指一本動かすのさえ気だるげな所作を見せるユリアが、素早く自分の前に踊り出た。驚いて目を瞬いた一瞬後、ユリアに倒されたと思った敵の剣が、彼女の腕をかすめていた。
『ユ……リア』
 どっと、目の前に鮮血が溢れる。自分と同じ力を持つ血が流れる。
 それを見た途端に、何かが割れる音がして、アーサーの頭は沸点に達した。
 剣を投げつけた兵士は、肩で息をしながら立ち上がる。膝をしきりに震わせ、痩せこけた頬には既に生気がない。目ばかりが殺意を失わずにらんらんと光った。
 このまま、放っておいても死ぬだろう。けれど、あの時は冷静な判断力を失っていた。
『業火、招来』
 所持していたエルファイヤーの書を投げつけ、そこに火を放つ。さほど魔力を宿さずに放ったが、その火は書の頁数の時間だけ燃え続けることとなる。
 あと三十時間は消えない、けれど死んでしまうには温い炎に焼かれ、敵は悲鳴をあげてのたうち回る。それを見下ろしてアーサーは、紅い眸を冷たく滾らせた。
『ただでは殺さん。苦しんで逝け』
 腕の痛みの所為か、気を失ったユリアを抱え上げ、捨て台詞を残してその場を去った。
「敵に情けをかけやがったのか?」
「そんな……ただ、殺生はいけないものだと本に書いてありましたので……」
 困惑の色を見せながら言葉を発する桜色の唇を、殴りつけてやりたい気分に駆られる。
 代わりに、凭れていた壁を拳を固めて殴る。がん、と鈍い音がした。
 本にあった知識なんて必要ない。戦場での殺人の善悪など、考える必要はないしまたそんな気もない。とんだ世間知らずだ。
「あんたの甘っちょろい言い訳なんて聞きたくないね」
 それを最後に、脅えた目の少女から視線を外して部屋を出て行った。
 思い返せば、間違ったことは言ってないにしろ言い過ぎだったと思う。あの少女は、自分とは生い立ちが違う。シレジア王の懐に守られ、大切に育てられてきたのだろう。人を殺したことも無いに違いない。そんな少女が、本にあった知識に則って人命を尊重したからと言って責められる謂れは無いはずだ。
「情けねぇな……」
 考えればわかることなのに、怒りに任せて怒鳴ってしまった。きっと怖い思いをしただろう。謝らねばと思って向かう先は、自然と彼女の居場所を示す。
 簡単だ。彼女に会うなら、火精の流れる方角へと行けば良い。
 目的の人物は、城の中庭で薬草を摘んでいた。銀色の髪が日を反射し、きらきらと光っている。
「あ、アーサーさん」
 足音を聞かれたのか、気づかれて先に声をかけられる。先日の脅えた様子はなく、ただ人形のような真白い顔を向けられる。生気に溢れた草の中、彼女だけがひどく非現実的なもののように見えた。
「先日はありがとうございました。気を失った私を救護室まで運んで頂いたのに、お礼も述べずにいたことをお許し下さい」
「いや、大したことしてないから。それより俺こそごめん、ひどいこと言って」
 謝罪の意味がわからない、とでも言いたげに、ユリアはきょとんと目を瞬く。けれどすぐに思い至ったようで、彼女はゆっくりと首を振った。
「いいえ、ひどいことなど言われておりません。むしろ、私の方こそ申し訳ありませんでした。戦場である以上、行われるのは殺し合いしか有り得ませんのに」
 思わず、動悸が早くなる。
「じゃあ、次に敵と会ったら、殺せるのか?」
「はい」
 間髪入れずに答えられる。底の見えない紫の眸に、感情の色はなかった。
「殺せます、躊躇なく」
 頭を、殴られたような衝撃が襲った。
 この少女は常に守られ、大切にされ、人を殺すような世界とは無縁に生きてきたと思っていた。つい、先程まで。
 けれど、違う。
 彼女は、命を奪うことを知っている。
 そして、
「命を奪われる覚悟が、あるのか?」
 戦場に出ようとする意志のある者に、それは愚問である。
 けれど、何処かで思っていたのかもしれない。
 そんな覚悟はない、自分が死ぬのは厭だと言うのを。
 そして、戦場から遠ざけたかったのかもしれない。
 血縁であり、血縁だからという以上に、危険から遠ざけたいと願った。
 初めて、自分に執着を抱かせてくれた、この少女を。
 ユリアは、遠くを見るような目をしてから瞼を下ろし、やはり感情のこもらない声で言った。
「こんな罪深い身など、一死では足りません」
 再び開かれた眸が見据えた先は、シレジアの方角だった。


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