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デルムッド×ラクチェ「再挑戦」

 ぴたりと、喉元に剣を突きつけられる。
 参った、と言えばこの切っ先は即座に収められるだろうに、その言葉は口から出てこない。
 悔しかった。稽古とはいえ、負けてしまったことが。
 師のシャナンや兄のスカサハに負けるのならともかく、今日はまさか負けるとは思わなかった相手に負けてしまったのだから。
「俺の勝ちだな、ラクチェ」
 馬上の男を見上げる。金髪が日を照り返して眩しい。
 さぞ勝ち誇った顔をしているだろうと思ったのに、デルムッドの表情は、いつものように穏やかだった。
 こういう奴だ、とラクチェは思わず嘆息する。
 勝負に勝っても喜ばないし、負けても悔しがらない。常に人当たりの良い笑みを浮かべているだけだ。「勝ったのに、嬉しくないの?」と訊けば「嬉しいかな」と何とも煮え切らない返答である。
「どうも、自分の感情を表に出すのが苦手みたいで」
 そんなところは、従兄に当たるアレスとよく似ているなとラクチェは思う。けれど、アレスの場合はいつも無表情なので、とっつきやすさは天地の差があるのだが。
 幼い頃から一緒に居るラクチェでも、デルムッドの変わらないように見える笑みから感情は量れない。
 それは昔、告白された時だって変わったようには見えなかった。
「俺は、ラクチェが好きだよ」
 天気の話でもするかのようにさらりと言われ、表情も全く変わらなかったので、告白をされたのだと気づくまでに十秒ほどはかかっただろうか。
 ラクチェの顔はかっと赤く染まり、いつもと変わらないデルムッドを見て叫んだ。
「私は、自分より剣の腕が劣る男なんて絶対好きにならない!」
 デルムッドは、そうかとだけ言っていつものように笑っただけだった。
 腹が立った。どうして、そんなに冷静なのかと。
 悔しかった。自分はこんなに動揺しているのに、どうして冷静でいられるのかと。
 そんな甘いような苦いような記憶を思い出しながら、馬から降りて自分を見つめるデルムッドを真っ直ぐに見つめ返す。
 あの頃は、思いもしなかった。
 色白で、線が細くて背の小さかったデルムッドに、剣で負かされる日が来るなんて。
「デルってば、強くなったね」
 思わず、幼い頃の呼び名が口をついて出る。昔はつむじが見えるほど小さかったデルムッドは、もう頭一つ分ほど追い抜かされていた。
「なぁ、ラクチェ」
 デルムッドの碧眼が、少しだけ細められる。これは嬉しい時の表情だなと、ラクチェは思う。普段変わらないからこそ、小さな変化がよく分かった。
「もう一度好きだって言ったら、今度は違う答えをくれるか?」
 相変わらず、重大なことをあっさり言ってくれるものだ。けれど、今回の告白は昔とは違って素直に嬉しい。
「本当はね、ずっと前から好きって言いたかったよ」
 ラクチェがそう答えると、デルムッドは「嬉しい」と言って、殻の割れたような笑顔を見せた。




スカサハ×ラナ「死神の救い手」

 ずん、と白刃が身に沈む音が聞こえる。途端、激痛が身体中を駆け巡った。
「……く、」
 歯を食いしばり、思わず洩れ出た呻き声を押し留める。がくりと膝から力が抜け、ふと意識が遠くなる。何度も覚悟した死が迫ってくるのを感じ、剣を握る手からゆるゆると力が抜けていく。死ぬ時には今までの思い出が脳裏を過ぎるだとか、大切なひとの顔が浮かぶだとか聞いていたのに、収束に向かう意識は何も思い出そうとしないらしい。人を斬る度に意識せざるを得なかった死を恐れていた時期もあったのに、今はとても安心できる場所のように思える。これまでかと思うと、妙に安らいだ気分になった。
「スカサハ!」
 聞き慣れた声に、失せかけていた意識が戻る。自分の名を呼ぶ声が、涙で滲んで背後から聞こえてくる。
 あぁ、ラナの声だ。
 そう思った瞬間、どくどくと鼓動が耳元でうねり出す。感覚の失せた右手を、武器を落とさないよう強く握りしめる。まだ死ねない、死ぬわけにはいかない。自分が死んだ所為で、愛しい少女を泣かせることは何より厭だった。
「……ラ、ナ」
 振り向く代わりに、右手を振り上げる。スカサハの振るった剣は目の前の敵を斬り、瞬きする間に剣筋が鋭く五本閃いた。イザーク王家に伝わる常勝不敗の奥義、流星剣である。
 敵が絶命したのを確認すると、スカサハの意識もそこで潰えた。


 目を開けると、そこは救護室の寝台だった。
 身を起こすと、肋骨あたりの傷がまだ少し痛む。傷口は杖による治療で塞いでいるようだが、切り裂かれた内部の補修までは時間がかかるのだと聞いたことがあった。
「起きたのね」
 そのことを教えてくれた少女が、杖を持って傍らへと寄る。平気そうな顔をしているが、目はうっすらと赤かった。
「ラナ……」
「もう一度治療するから、じっとしていて」
 杖がラナの手の中で光り、傷口を照らす。柔らかな温かさが身体を覆うのを感じると、痛みは嘘のようにかき消えた。
「ありがとう、もう大丈夫みたいだ」
「……お礼なら、あなたを運んでくれたレスター兄様に言って。処置が遅れたら、助からなかったかもしれないんだから」
 眉をしかめて怒りの表情を見せたラナは、手馴れた様子で傷口の包帯を替えていく。敵陣に単独で突っ込むなんて無茶をしたのだから、彼女が怒るのも道理だ。指揮官の命令を無視したのだし、あとでセリスに殴られるかもしれない。師であるシャナンは軍規違反には厳しいし、レスターにも、大事な妹を泣かせやがってと散々怒られるだろう。
「でも、あの子は助かったわよ」
 これから延々と説教を受けるかと思っていたのに、ラナは意外にも優しい顔でスカサハを見つめていた。
「あなたが腕の中に抱えていた赤ちゃん、ちゃんとお母さんに返しておいたから」
「……よかった」
 戦場となった街から逃げてきた中に、泣き叫んで引き返そうとする女性が一人いた。
『子どもが、私の子どもがまだ中に居るんです! ほんの赤ん坊なんです!』
 泣いて縋りつかれたスカサハは、その訴えを諾した。必ず連れて来るからと。
「セリスが聞いたら、怒るかな?」
 幼馴染み同士で会話をする時には、自然普段の敬称も取れて昔のように呼び合う。育て親にバレたら叱られるだろうけれど、ティルナノグで育った仲間達は皆こっそりと昔の雰囲気を大事にしていた。
「怒るわけないでしょう、分かっているくせに」
 きっとあの指揮官は、呆れた表情をしながら羨望のまなざしを向けてくる。本当は誰より優しい彼が非情になり続けなければならなかった理由を、幼馴染みである二人は熟知していた。
「俺は、甘いと思う。戦場では、セリスのやり方がきっと正しい」
「そうね」
 さらりと肯定して頷くラナは、けれど自分を否定するわけではないことをスカサハは知っている。
「でも、決めたんだ。俺が助けられる存在があるなら、できる限り助けたいって」
「えぇ」
 もう一度、深く頷いたラナはそっとスカサハの手を取る。落とすまいと剣を握りしめていた右手に巻かれた包帯は、血が滲んで赤く染まっていた。
「あなたの手は、殺すことも助けることもできるのだから」
 殺すことしかできないと、泣いたこともある。助けることすらできないと、嘆いたこともある。悩み続けた先に辿り着いたその結論の後ろには、多数の屍が山と積み上げられていた。けれど、無駄ではないと思える。罪深い人殺しの手は、けしてそれだけの存在ではないのだ。
「あなたは、私の誇りよ」
「大袈裟だな」
「本当のことだもの」
 でも、とラナは眸を潤ませる。
「死なないでね、スカサハ」
「あぁ、ラナをおいては死ねないよ」
 あの時、自分の名をラナが呼んでくれなかったら、きっと生きてはいなかった。彼女を嘆き悲しませたくないという、ただそれだけで自分の生きる意味を得たような気がした。
「スカサハ、私ね……」
 ラナが、ふわりと柔らかい微笑みを浮かべる。
「あなたが好きよ」
 スカサハもそっと微笑み返し、幼い頃からいつもそうしていたように、夕日色の巻き毛を優しく撫でた。





セティ×ユリア「三年越し」

 バーハラから、一通の招待状が届いた。
 王妹であるユリア王女の誕生日を祝し、各国の要人を集め舞踏会が催されるとのことだ。
 戦後すぐは国の復興や機構の建て直しが忙しく、加えてユリア自身も父と兄の喪に服していたので、盛大に誕生日を祝えるようになるまで時間がかかってしまった、とセリス王の直筆で言い訳がましく添えられてある。
 けれど、セティ自身もシレジアの復興に尽力する日々を送っていたのだから、彼の言い分はよく理解できる。それにユリアも、あまり派手なことを好む性格ではない。
『セティ様、どうかお元気で』
 兄の傍らに控えるユリアが、そっと微笑んで自分に言ってくれた別れの言葉を思い出す。何も特別なものではない、知人への別れに使うありふれた言葉だった。
『はい、あなたも』
 だから自分も、簡単に返事をした。
 けれどあの時、本当は言いたかった言葉があった。今も言いたくて堪らない。三年も経ったのに、あの時の気持ちは少しも色褪せてなどいない。
「ご無沙汰しております、ユリア様」
 華やかな舞踏会場で、主役は壁の花となっていた。
 ユリアは戸惑ったように瞬きをしてから、たおやかな美しい笑みを浮かべる。
「お久しぶりです、セティ様。とても凛々しくなられて、見違えましたわ」
「光栄です。あなたも……」
 セティは、目の前の女性をじっと見つめる。いくらかあどけなさを残しながら、年月は彼女の気品と優美さをより一層輝かせて見せていた。
「昔よりずっと、お綺麗になられました」
 ユリアの白い頬に、ぽっと朱が散る。褒められるとすぐ照れてしまう癖は昔のままだと、思わず懐かしい気持ちになった。
「一曲、お相手して頂けますか?」
 見計らったかのように、演奏がしっとりとした曲調に変わる。
「ええ、喜んで」
 差し出した手に彼女の手が重ねられ、曲に合わせて足を踏み出す。幼い頃から帝国皇女としての作法を身につけていたであろう彼女は、踊りも優雅だった。「お上手ですね」と小さく賛辞を口にすると、ユリアはまた頬を染めて少し顔を逸らした。
「あっ」
 その拍子に足がもつれたらしく、ユリアの体躯が左へ傾ぐ。
「おっと」
 セティは素早く彼女の細い肩を受け止め、身体を元の位置へと戻した。
「す、すみません……」
 ユリアが更に顔を赤くし、自分を見上げている。その様がとても可愛く思えて、セティは人目も憚らずにそのまま抱きしめた。
「セティ様……あ、あの」
 戸惑いの声が聞こえるが、両腕の戒めは解かない。彼女のことをこんなにも離したくなかったのだと、今更のように気づいてしまった。
 ずっと言いたかった言葉。今も言いたくて堪らない。それならば言ってしまえば良かったのに。自分はとんだ臆病者だったと思う。
 そっと耳元に唇を近づけ、三年越しの言葉を熱く囁いた。
「お慕いしています、ユリア王女」





コープル×フィー「無意識プロポーズ」

 ばさりと風圧を顔に受け、大きく飛翔する。天馬に乗って飛ぶ、この瞬間が一番好きだ。
 解放軍に志願して一年。色々な国を見てきたけれど、空から見る風景はやはり生まれ育ったシレジアが一番綺麗に見える。
「マーニャ、早くシレジアに帰りたいね」
 雄大なグランベルの空を飛びながら、フィーは小さく呟く。戦争が終わり、各々が自分の国へと帰り始めているにも関わらず、フィーはシレジアに帰ろうとしなかった。
(やっと、見つけたのに)
 母が最期まで気にかけていたこと。母の遺言。
 シレジアの地に希望の光を。
 正統なるフォルセティの後継者を。
(どうして)
 フィーは、マーニャのたてがみに縋りついて肩を震わせる。どうしてあのひとは、シレジアに帰ってくれないのだろう。レヴィン王が旅に出てしまった以上、シレジアの王位を継ぐに足る人物は彼しかいないのに。
 金髪で、いつも何処か冷めた顔つきで、でも本当はとても素直で優しい少年。
「コープル……」
 ふわりと心地良い風が吹く。この風の持ち主。自分たちの国を統べる王の持つ風。
 レヴィン様のお傍に居ると、とても良い風が吹くのよ。
 母が何度も、懐かしそうに言っていた。どんな風なのだろうとずっと思っていたけれど、コープルに会った瞬間に理解できた気がした。柔らかくて何処までも澄んでいて、それでいて涙が出るほど懐かしい。シレジアは遠い。海を越えてこんな遠い所にまで、一人来てしまった。帰りたい。けれど、一人では帰れない。帰りたくない。
 フィーは大きく息を吐き出すと、風の向かう方角へと天馬を飛ばせた。


「フィーさん、こんにちは」
 コープルは律儀に挨拶をして頭を下げる。毎日毎日同じことを言うフィーに、彼もまた同じ言葉を返す。
「……ねぇ、シレジアに帰ろうよ」
「厭です。僕の故郷はトラキアだから」
 コープルはダーナで拾われ、トラキアで育てられた。シレジアの地を見たこともなければ、足を踏み入れたこともない。愛着が湧かないのも無理はないが、訪れればきっと愛すべき土地になる筈だという確信がフィーにはあった。
「違うわ、あなたの故郷はシレジアよ。王位を継ぐのはあなたしかいない。知らない土地で不安なのは分かるけれど、知ればきっと好きになると思うの。ね、だから……」
「どうしてですか?」
「え、」
 何にどうしてと言われたのか分からなくて、フィーは思わず訊き返す。
「どうして僕が、知りもしないシレジアの王位を継ぐんですか?」
「それは……」
「僕がフォルセティを持っているから? レヴィン王の息子だから?」
 何を今更、と頷こうとして、けれど縦に振ろうとした首の動きが止まる。表情はいつもと変わらず冷静だけれど、コープルの眸の色がとても淋しそうだとフィーは思った。
「つまりフィーさんは、風神セティの血統なら誰でもいいんでしょう?」
「そん、な……こと……」
 必死で首を横に振りながら、違うと連呼する。けれどコープルは、違いませんよと冷たい声音で返した。
「あぁそうか、フォルセティも使える人じゃないと駄目ですよね」
「……なんで、」
 どうしてそんなことを言うのか。思わず怒りたくなったが、フィーはふと母のことを思い出す。
 母も王位継承争いの内乱の最中、レヴィン王にそう言ったことがあるそうだ。フォルセティを手に、王になって下さいと繰り返し、けれど一度も耳を貸してくれなかったと苦笑していた。酷いと怒るフィーに優しく笑いかけ、母は静かに言った。
 酷いのは私よ。
 だって私は、一度だってレヴィン様自身が必要だなんて言わなかったんだもの。
 本当は、あの方のことをとても大事に思っていたのにね。
(……私もだ)
 親子は不器用なところまで似てしまうのだろうかと、フィーは小さく溜め息をつく。自分もずっと、コープルに王位を継いでくれとしか言っていなかった。
「コープル、私ね……」
 何やら思案した後、打って変わって明るい表情を見せたフィーに、コープルは瞠目する。
 フィーはひとつ深呼吸をすると、よく通る声で明瞭に話し始めた。
「私はコープルと居ると、すごく幸せな気持ちになれる」
「え?」
「風が気持ちよくて、柔らかくて、あったかい。コープルの傍に居るのが好きなの」
 コープルの頬が、フィーの言葉を受けてみるみる赤く染まる。
 どうして照れているのだろう。本当のことを言っているだけなのに。
 そう思ったが、すらすらと言葉が出てくるのでこのまま言い切ってしまうことにした。王位を継げと連呼していた時より、こっちの方が何倍も気分がいい。
「コープルの傍に居たいなぁとか、ずっとずっとコープルと一緒に居られたら幸せだろうなって、そんなことばっかり考えちゃってね」
「ちょ……っと、フィーさん……」
「だから私、コープルと一緒にシレジアに帰りたい!」
 まるで林檎の実のように赤く染まったコープルは、おろおろと視線を泳がせている。常に冷静な彼の、歳相応な面を初めて見た気がした。
 コープルはじっと下を向いたまま、微動だにしない。そのまま長い沈黙があった。答えを逡巡しているのだろうか。いつもは即座に断られていたから、答えを待つ時間すらもフィーには嬉しく感じる。
「僕は……」
 やっと顔を上げたコープルが、小さな声で言う。
「僕は、シレジアを知りません。故郷だなんて思えない。でも、」
 彼は耳まで真っ赤にしながら、しかしフィーを真っ直ぐに見て、ぽつりと言った。
「あなたがずっと一緒に居てくれるなら、悪くないと思えます」
 その答えに、フィーは歓喜の声をあげて飛び跳ねた。
「今言ったこと、後悔しないで下さいよ?」
「なんで? しないよ!」
「……ずっと一緒に居るっていう意味分かっているんですか?」
 きょとん、と首を傾げるフィーを見て、コープルは少し溜め息をついた。





ファバル&パティ「陽射しと体温」

「あーあ……」
 灰色の壁がそびえ立つ路地裏の隙間から、僅かに青い空が見える。こんな天気の良い日には、どぶ川の臭気が漂う所より草の匂いがする広い所に行きたい。
 行けばいい。行ったって構わないのだ。
 半ば捨て鉢な気分になって立ち上がろうとすると、先刻転んで石畳に打ちつけた膝がずきんと痛む。よろけて足を突っ込んだ水溜りには、店員の目を掻い潜って盗んだパンがぷかりと浮いていた。孤児院の子ども達、自分よりずっと小さい子達がまた、空腹を訴えて泣くのだろう。
 今日はうまくいったと思ったのに。帰りを待つあの子達の空腹を、少しはましにさせてやれると思ったのに。盗みがうまくいっても、転んで食べ物を落としているようでは話にならない。最後にドジを踏んでしまった。
「あーあ」
 パティはもう一度大きく溜め息を吐く。どうしようか、また盗みに行こうか。けれど、この足では満足に走れず逃げ切れないだろう。捕まったが最後、棒で打たれて市中を引き摺り回される。泥棒と罵られ、町の人々は敵意に満ちたまなざしで、自分に石を打ちつけることは明白だ。
 遠くから、子どもの笑い声が聞こえる。パティが視線を右に遣ると、清潔な服を着た同じくらいの歳の子どもが、幸せそうに母親と手を繋ぎながら歩いているのが見えた。
「今日はつくづくツイてないや」
 唇を歪め、笑顔の形を作る。羨ましくなんかないんだと、何度も口の中で唱える。それでも、胸のあたりから這いずり回る感情は抑えようがなかった。
 お父さんが欲しい。お母さんが欲しい。まだ何も知らなかった頃、泣きながらそう言っては兄を困らせてきた。俺が捜してきてやるよと慰めてくれた兄は、けれど捜す暇など無いほど働いていることを今は知っている。十二を過ぎれば、傭兵の仕事もしてもっと楽にしてやるからなと笑う兄に、自分ばかりが我が儘を言うことなどできなかった。
 子どもと母親が通り過ぎた道を、もう一度見つめる。光が当たっていて眩しい。きっとあの場所は、あたたかくて幸せな場所なのだろう。自分が居るところは、陽など射さない薄暗いこの路地裏だ。這いつくばり、物乞いや盗みでもしなければ生きていけない場所で、今日も生きていかなければならない。そう思うと、不意に絶望的な気分が襲ってきた。
 ぎゅっと膝を抱え、顔を伏せる。細かい震えが身体の奥から湧き上がった。怖いのか悲しいのかよく分からないのに、身体がひどくだるくて起き上がろうという気にさえなれない。目を閉じた先に見える暗闇に、唯一人の肉親の顔が思い浮かんだ。
「ファバル兄さん……」
 口からこぼれたその声は、自分でも驚くほどかすれ震えていた。暗闇の中、小さい頃の思い出が脳裏に浮かぶ。こうやって一人で居ると、いつも兄が捜しに来てくれた。日が暮れても夜が更けても、最後には必ず見つけてくれて、そして笑ってこう言うのだ。
「おい、パティの淋しがり」
「えっ?」
 顔を上げると、そこには兄のファバルが居た。いつものように明るい笑顔を浮かべた兄は、そっと頭を撫でてくれる。
「ど、どうして此処に……」
「遅いから捜しに来た。で、おまえこそどうしてこんな所で蹲ってんだ?」
 パティがちらりと水溜りに目を遣ると、ファバルはその視線を追いかけ、あぁと頷いた。
「また盗みを働いたのか、おまえってやつは」
 呆れたように呟きながらも、パティの膝にある怪我に布を巻いて彼女を背に負う。兄の背は、昔よりもっとずっと広くて逞しかった。
 ファバルはパティを背負ったまま、路地裏を出て陽の当たる道を歩く。幸せそうな人々が、眩しい道を歩いている。自分もそう見えているだろうかと、兄の背に負われながらぼんやりと思った。
「おにいちゃん」
「ん?」
 ぎゅうと力を込めてファバルの首に縋りつくと、苦しい離せと文句を言われる。
「ありがと、大好き」
 こんなことは面と向かってはとても言えないので、顔が見えない今しか言えない。けれど、いつも思っていることだ。当たり前のようにいつも思っているから、口に出さず終わってしまう大切な言葉。
 ファバルは少し笑って言った。
「知ってる」
 午後の眩しい陽射しを浴びながら兄の優しい背に負われ、あたたかいと思った瞬間、パティの頬にひとすじ涙が落ちた。





セリス×ナンナ「捕獲?」

「あら?」
 草原と違う蒼色が目に入り、ナンナは歩く足をふと止めた。
 此処からでは遠くてよく分からないが、あの珍しい髪色はきっと彼だろう。
 少し心を弾ませて近づいてみると、やはり彼が草原に寝そべっていた。
「セリス様」
 そっと、小さな声で呼びかけてみる。しかし返ってくるのは、安らかな寝息だけだった。
 お疲れなのね、とナンナはこっそり溜め息をつく。話せなかったのは残念だけれど、忙しい彼が得た束の間の休息を邪魔するわけにはいかない。
 適当な時間に起こして差し上げようと思い、ナンナはその場に腰を下ろした。
 やはりセリスは目を覚まさない。綺麗な顔立ちは、眠っている間も変わらず綺麗だ。いつも一つにまとめられている髪は扇形に広がり、風に揺られて陽光を反射している。他人の寝顔を見るなんて趣味が悪いと思うけれど、どうしても目が惹きつけられてしまって視線を外せずにいた。
「綺麗……」
 無意識にそっと手を伸ばすと、セリスの手がいきなりナンナの手を捉えて引き寄せた。
「きゃ!」
 短く悲鳴をあげたナンナは、仰向けに寝転がっていたセリスの上に重なるように倒れる。
「つかまえた」
「セ、セリス様……!」
 慌てて起き上がろうとするが、既に肩をしっかり押さえられていて身動きがとれない。顔が熱くなるのを感じて懇願するようにセリスを見るが、彼は普段と同じ優しい笑みを返すだけだ。
「言っておくけど放さないよ? 近づいたそっちが悪いんだからね」
 どう考えてもセリス様が悪いです、という言葉は、喉元に留まって出てこない。こういう時は何を言っても無駄なのだ。主張を曲げない彼の強引さは熟知している。
 おとなしく抵抗する力を抜くと、セリスはナンナの髪にそっと口付けた。
「愛してるよ、ナンナ」
「……ずるいです、セリス様」
 ナンナはセリスの顔を睨みつけ、口を尖らせる。
「私が先に言いたかったのに」
 それを聞いたセリスは、くすくすと笑った。
「やっぱりきみは面白いなぁ」
 彼の吐息が耳にかかり、くすぐったいとナンナは身を捩って微笑んだ。





アーサー&ティニー「契約」

 フリージ一族の墓所ではない寂れた所に、ひっそりと母の墓はあった。
「お母様は反逆者の一味ですから、表立って存在してはいけないお方だったのです」
 ティニーが静かに言い、手を祈りの形に組んで黙祷を捧げる。アーサーもそれに倣って目を閉じた。死者を弔う方法はよく分からなかったけれど、気持ちがあれば充分ですと妹が言ってくれた。
 墓は、苔生した岩が置かれただけの簡素なもので、当人の名と天に召された日が書いてある。死に際の惨めさが慮られ、アーサーは屠った相手にまた憎悪を燃やした。
 妹以外の全ての血族を、この手で殺してやろうと決意してシレジアを発った。それがほんのふた月ほど前だろうか。捜していた妹に出会え、ブルーム親子を殺せたことは、アーサーにとって人生の悲願が一度にふたつ叶えられたことを意味した。
 けれどそのことを報告すると、ティニーは「そうですか」と俯いた。恨みが無いわけではないが、恩もあるので複雑なのだと、そう続ける妹の声は涙でくぐもっていた。
 もう十年になるだろうか。妹と離れていた期間の長さを思い知る。その間、自分達は何もかも違う所で生きてきた。アーサーにとっては憎い仇でしかなかったフリージ家は、ティニーにとって育ての親である。妹は親を二度も喪ったのだと気づいた時には、既にかける言葉をアーサーは失っていた。
「ティニー、」
 祈りを終えた妹の手を、強く握りしめる。最愛の妹を悲しませた自分が、これからできることは何だろう。ひたすら考えた。考えて考えて、そして結局これしかないと思った。
「もうおまえを、独りにはさせない。何があっても」
 ティニーの大きな眸のふちが涙で濡れ、そして唇の端が持ち上がる。泣き笑いの顔で、妹は言った。
「では、ひとつだけ誓って下さい。お兄様」
 ティニーは胸元のペンダントを外し、アーサーに渡す。宝石は契約の証にも使われるのだと、昔誰かから聞いた記憶が甦った。
「もしこの戦争で、あなたが天に召されることがあったら、私も後を追わせて下さい」
 ざわりと、風がティニーの長い髪を揺らす。赤いリボンでぐるぐるとまとめられた二つの髪は、感情の見えない顔をさらさらと撫でた。
「……駄目だって言ったら?」
「私を独りにしないというお言葉に反しますので、お兄様は嘘つきになってしまいます」
 また少し、唇が持ち上げる。笑顔を作る妹は、けれどけして笑ってなどいない。探るような目つきに、彼女は本気なのだとアーサーは思った。
「そんなこと誓わなくたって、俺は死んだりしないよ」
 即座に落胆と失望の色を見せる妹に、アーサーは正直なやつだと内心思いながら、自身の首にかけてあったペンダントを外す。そのまま、それをティニーの掌に載せた。
「でも、おまえが死んだら俺も死んでやる。それなら誓ってもいい」
 アーサーの手にはティニーのペンダントが、ティニーの手にはアーサーのペンダントが、それぞれ陽を受けて輝いている。自分達を兄妹だと知らしめた物が、今はお互いの命を渡した証となっていた。
「……私は死んだりしません」
「分かっているよ、もしもの話だろう?」
 自分と同じことを言い返す少女に、あぁやはり自分の妹だとアーサーは苦笑した。
 妹の頭を撫で、そして誓いの言葉を告げる。フリージに連れ去られた肉親を助けることが、アーサーの悲願だった。それが叶えられた今、妹のために命を捧げることに何の未練があるだろう。
「死ぬ時は一緒だ、ティニー。死んでからもな」
「一緒……」
 ティニーは兄のペンダントを両手で包み、嬉しそうに呟きながら微笑んだ。





リーフ×リーン「あすなろ」

 日課の素振りを終え、リーフは流れる汗を拭う。東の空がほんのりと白い。日が昇りきる前に、槍の稽古を終えてしまおう。
 槍に持ち替え、風を切って振り回す。まだフィンのように巧く扱うことはできないが、最初の頃に比べるとだいぶ手慣れてきた。
「リーフ様」
 後ろから、誰かの声が聞こえる。こんな朝早く、自分以外の誰が起きているのだろう。
 振り返ると、緑色の髪を背に流した平服の少女が立っていた。普段は髪を高く結い上げ、踊り子の衣装を着ているので、一瞬誰だか判別しかねる。
「あ、えっと……リーン」
「休憩しなさい」
 ぴしゃり、と厳しい声が返ってくる。リーンはつかつかと歩み寄ると、リーフの手から槍を奪う。
「師匠に習わなかったのですか? あんなに素振りをした後に槍を振り回せば、あなたが振り回されてしまいますよ」
「え、見ていたの?」
「途中から。百ほど数えさせて頂きました」
 はきはきとした物言いに、リーフはこっそり苦笑する。あいつにだけは敵わないと、アレスが渋い顔をしていたことを思い出した。権力や力に屈服せず、正しいと信じたことを正しいと貫くこの少女は、いつも自信に溢れているように見える。
 リーンはそのまま槍を元の場所に片そうとするが、リーフの手がそれを留める。怪訝そうに視線を向ける彼女に、素早くごめんと謝ってから槍を奪い返した。
「……何のおつもりです」
「今日はまだ、午前中に弓の稽古があるんだ。午後からは魔法を覚えないといけないし」
 リーフがマスターナイトを目指しているのは周知の事実だった。当然、リーンも知らない筈はない。休む間もなく修練を積むリーフの身体のことを心配して槍を取り上げたのだろうが、彼には休息を取る暇など無かった。
「でも、だからって……」
 尚も食い下がるリーンに、少し語調を強めて言い返す。
「僕だけ弱いままは厭なんだよ!」
 びくりと肩を震わせたリーンを見て、リーフはしまったと頭を抱えたくなる。女の子相手に怖がらせてしまっただろうかと相手の顔色を窺うが、心配に反してリーンは平静な顔つきのまま言葉を継いだ。
「それはセリス様やアレスへの嫉妬? 師匠を越えたい弟子の心意気? それとも誰か大切なひとを守りたいから?」
「……全部」
「欲張りね」
 くすくすと控えめに笑うリーンを見て、どきりと胸が高鳴るのを感じる。誰か大切なひとと言われてリーフが連想するのが自分自身だと、彼女は気づいていないだろう。
(正直だなぁ)
 自分でも呆れるほど、リーンを前にすると心拍数が増えていく。
 惹かれたのはいつからだろう。彼女を初めて見た時は踊りの印象も相俟って、柔らかく儚げで風に溶けていきそうなひとだと思った。けれど話してみると案外しっかり者で、話し方もはきとして気持ちがいい。気づいた時にはもう既に、リーフの中で確たる感情が根付いていた。
 既にアレスと恋仲だと噂される少女にこの想いを伝えることは無いだろうけれど、そうかと言って諦められるものでもないらしい。初めて覚えた恋情は、未だリーフの中で燻っている。
「フィンさんは年季が違いますものね。セリス様とアレスは、天才肌かしら。他人ほど努力しなくても、才能があるからどんどん強くなれるっていう人達」
「そうはっきり言われると傷つくなぁ」
「でもね、リーフ様」
 リーンがにっこりと微笑む。東の空に昇った太陽が、彼女の頬をほの白く照らした。その表情に、リーフは眩暈がするほど魅了される。
「才能が無くても、一生懸命努力して強くなれる人の方が、私は好きです」
「え、」
「私はリーフ様の頑張っている姿、好きですよ」
 彼女のことだ、きっと他意はない。ただ目標に向かって邁進している姿が好ましいというだけだろう。けれど、リーンの口から自分に関することで好きという言葉が聞けるとは思っていなかっただけに、じわじわと顔が熱くなるのを感じる。
「あ……その……ありがとう」
「あれ、顔赤いですね」
 リーンの手が、そっとリーフの額に添えられる。萌黄色の眸に覗き込まれると、鼓動の音が相手に聞こえてしまうのではないかと思うほどにうるさくなった。
「熱があるみたい、風邪かしら?」
「あぁもう……リーンの所為だ」
 そう言って顔を背けると、
「じゃあ、毒を以って毒を制しますね」
 リーンはそっと、リーフの頬に唇を寄せた。

 後日談。
「なになに? じゃあ結局僕らがお膳立てしてあげたにも関わらず、リーフってばリーンに告白できなかったってわけ?」
「…………」
 セリスの溜め息に、リーフは押し黙るしかない。
「全く甲斐性の無いヤツだな。リーンが何でおまえを好きになったかは知らんが、あいつは俺の親友で恩人だ。幸せにしなかったら許さないからな」
 アレスの今にもミストルティンを抜かんとするばかりの雰囲気に、リーフは早く強くなりたいと切実に思った。





レスター×アルテナ「証拠」

 親友は居るのかと、何かの話のついでに母に訊いたことがあった。母は美しい面差しを空に向け、昔は居たと過去形で呟いた。空の蒼さに照らされた母は、とても静かな面持ちをしている。悲しみや怒りや、そういった感情を全て経験し自身の中で飼い慣らした、そんな表情だと思った。
「今は、砂漠の何処かに愛するひとと眠っているでしょうね」
 安らかに。どうか安らかに。母は祈りを捧げるたびに、その言葉を呟いていた。妹に教え、自分には教えなかった祈り。それがどういう意味を持つのか、レスターは何となく知っていた。弓を射る自分は祈る暇なく敵を殺し、杖を振る妹は命を救うたびに見捨てた命に祈らなければならない。どちらがより良い道なのかと少し考え、けれどあまりに不毛だと気づいてやめた。子どもに命の奪い方も、命の見捨て方も教えない世界が一番良いに決まっている。
 そんな世を作るため、弓をひいてきた。何十、何百という人間を殺してきた。立ちはだかる敵には躊躇いなく矢を射てきた。
 あの時までは。
「やめろぉ!」
 突如腕を後ろから掴まれ、矢を弾き落とされる。驚いて振り向いた先には、鬼のような形相をしたリーフ王子がいた。
「あそこには、姉上がいらっしゃるんだ!」
 空を覆う黒い靄のような竜の軍団を、彼の震えた指がさす。その先に、部下を守ろうと単騎で前に飛び出し、槍を構えている女竜騎士が居た。
 まさかと思った。十八年前、イード砂漠でキュアン王子のランスリッターは全滅させられ、その際同行していた妃のエスリンと娘アルテナも、一緒に砂漠の露と消えた筈だ。
 けれど、どうやら間違い無かったらしい。リーフ王子の説得に彼女は心動かされ、正しい出自を知ったアルテナは解放軍に身を寄せた。レンスター家の面々にぎこちない笑顔で会話する彼女は、けれど確かに面差しはリーフ王子に似ている。アルテナはフィンを見かけては、父と母のことを教えて下さいとせがんでいた。もはやトラキアに戻ることのできない彼女は、せめて実の両親の詳しい話を聞いて、僅かに残っている幼い頃の記憶を丁寧に呼び起こしているに違いない。その様子を見て、黙っていることは罪のような気がしたレスターは言った。
「エスリン様のことなら、知っていますよ」
 母の思い出話を、レスターは何度か聞いたことがあった。その内容を是非話してくれと、アルテナは顔を綻ばせる。普段は気丈な様で凛としている彼女が、大切な物を捜して捜してやっと見つけた子どものような顔を見せた。
 いくつか知っている限りのことを話すと、アルテナは何度も頷いて、けれど悲しげに眸を伏せた。何か気に障ることを言ってしまったかと思った瞬間、ごめんなさいと謝罪の声が聞こえる。
「もっと喜ばなければならないのだろうけれど、全然実感が湧かないのです」
 実の両親のことを聞いても、どんな人達だったのか思い出せない。
 弟と話をしても、まるで他人のように感じる。
 フィンのことは微かに覚えているものの、やはり具体的な内容となると思い出せない。
「私は本当に、レンスターの王女なのでしょうか」
 溜め息をつくアルテナは、けれどそれが本心からの言葉ではないのだろう。ゲイボルグという物証は確として存在するのだから。
「俺……いや、私もそんなことを思ったことがありましたよ」
「え、」
 顔を上げたアルテナの前に置いてあるカップに、紅茶を注ぎ足す。父が好きだった茶葉だと聞いたことがあった。戦時下では手に入れることが難しいため、ティルナノグから持ってきた物を少しずつ大切に使っている。
「この髪、何色に見えます?」
「青……いえ、紺かしら」
「そう、セリス様の髪色と似ているでしょう」
 アルテナは黙ったまま頷く。正直な女性だと、レスターは好感を持った。
「口さがない連中が噂しているのを、今でも聞きます。私の母は、シグルド様の愛妾だったのではないかとね」
 父の顔は知らないが、知っている人に言わせれば自分は父に似ていないらしい。母にも似ていない。そして、身近に居る髪色が自分と似ている解放軍の盟主。材料は充分だった。
 本当は英雄シグルドの子ではないか。
 母がいくら違うと否定したところで、物証はない。両親や自分への誹謗中傷に泣いていると、オイフェやシャナンが何度も慰めてくれた。そんなことは絶対にない。エーディン様はおまえの父親だけを愛していたし、シグルド様もセリス様の母上だけをこよなく愛しておられたのだからと、肩を抱いて頭を撫でてくれた。
 けれど証拠はないし、人の口に戸は立てられない。何かひとつでも証拠があればいいと思って、父の形見の弓を手に取った。これが扱えるようになれば、父に似たところがあるという証明になる気がした。
「だから私には、ゲイボルグという物証のあるあなたが羨ましく思いますよ」
「……ごめんなさい。私、贅沢ですね」
「いいえ」
 項垂れるアルテナに、レスターは首を振ってみせた。謝って貰うほどのことは何もない。ただ、忘れて欲しくなかっただけだ。疑いなく、本当の家族が居るということを。
「レスター殿、」
 アルテナの手が、卓上に置かれたレスターの手を握りしめる。積極的な女性だなと少し目を見張ったが、彼女は真剣な顔で言った。
「あなたはちゃんと、あなたのご両親の子です」
 そんなこと、確証はない。これからも有りはしない。
 けれど、言い切ってしまう彼女の声音には、何故か真実が含まれているような気になった。そういえば、母がこんなことも言っていた。
 エスリンが大丈夫って言うと、本当に何でも大丈夫な気がしてきたの。それで何度も救われたのよ。
 根拠の無いことは信じない性質だ。けれど、確かに気持ちが軽い。本当にそんなことがあるものだと、感慨深い気持ちになる。
 ありがとうございますと礼を言うと、アルテナはやはり真面目に拳を固めて自身の胸を叩く。
「もし誰か妙な噂をする輩が居たら、私が張り倒してやりますから」
 張り倒す?
 そう復唱し、物騒なことを仰るのですねとレスターは声をあげて笑った。