どなたですか?
まぁ、こんな所にご用がおありなんて、とても思えませんけれど。
何も無いところですが、どうぞお上がりください。
ちょうどお茶を淹れたところですから。
旅の方ですか?
いえ、お召し物がそのように見受けられただけです。
人をお捜しですって?
残念ですけれど、此処には私しか居りませんわね。
昔はそれなりに、人も多く居たのですけれど。
あなたのような若い方は、もうご存知ないかもしれませんね。
十数年ばかり前、此処はティルナノグと呼ばれた村でした。
叛乱軍の盟主が旗揚げした土地として、少しは名も知られているのでしょうか。
その叛乱もとっくに鎮圧されて、此処から出兵した若い者達は誰ひとりとして帰ってはきませんでしたけれどね。
勿論、私の子も。
まぁ、その話をお聞きになりたいのですか?
正史に刻まれていないことを聞きたいなど、物好きな方もいらっしゃること。
ええ、私は構いませんわ。どうせ老い先短い身です。
我が子も既にこの世を去ってしまったでしょうし、死ぬ前に見ず知らずのあなたがこうしていらして下さったのも何かのご縁でしょう。
とは言っても、私の存じていることなど本当に少ないのですけれど。
どこからお話し致しましょうか。
戦犯者を生み出した土地の者ですから、日の届かぬ所を生きて参りました。
加えてこの齢になると、もう世間の噂話も何かと煩わしゅうございます。
今もグランベルのバーハラ王家は健在ですか?
……そうですか。
そのユリウス皇帝の異父兄にあたるセリス皇子が、此処から挙兵したのです。
グラン暦で言うと、776年の暮れ頃だったかしら。
雪雲のたれこめる、薄暗い日でしたわ。
挙兵した人数は、確かとても少なかったと思います。
何しろ出兵前に、無茶だと私が叫んだくらいですから。
軍の中心人物は、此処で育った子ども達でした。
ええ、よく覚えていましてよ。
まずは、シャナン王子の従兄弟にあたる、双子の王子と王女。
母親譲りの剣才の持ち主で、戦場では死神と恐れられたと聞きます。
兄のスカサハは、どちらかといえばおとなしい子で、活発な妹のラクチェの諌め役に回っていた気がします。
そして、ノディオン王家の血をひく騎士、デルムッド。
彼はとても温和で、真面目な子でした。馬に乗るのが大好きな子で、よく私の息子と遠乗りに出かけていましたわ。
え、私の子ですか?
ふふ、母が自分の子を語るなんて面映いですけれど、ついでですからお答え致しましょう。
息子は、弓兵でした。私は幼い頃、弓を捨てて杖を選んだのですけれど、血は争えないものだと思いましたわ。あの子が弓をひく立ち姿は、少しだけ私の姉に似ているようにも思えました。
セリス皇子よりも少し年上で、幼い頃は此処の子ども達のまとめ役でしたわ。
叛乱軍に加わってからも、弓兵隊の隊長を任され、頼りにされていたようです。
娘は私と同じ、杖を使う僧侶でした。心根の優しい子で、親の贔屓目かもしれませんけれど、愛らしい子でした。私に似ず、物をはきと言う気持ちの良い子でもありましたわ。
そして、セリス皇子。
彼は、父親をバーハラの悲劇で喪い、母親とは一度も会わないままでした。
ですから、私が育ての親、ということになるのでしょうか。皇家の血をひく方に対して、恐れ多いことだとは思いますけれど。
幼少の頃は、女の子と見紛うほどに可愛らしい子でした。
シアルフィ家特有の髪色をしながら、容姿は御母上の皇妃に瓜二つで。
庶子でありながら、彼はとても利発で聡明な皇子でしたよ。周囲の期待に違わず、弱冠十七という若さで叛乱軍の盟主になり得たのですから。
シアルフィ家の家臣であったオイフェや、イザーク王子のシャナンなどは、彼に期待を寄せて文武を厳しく鍛えていましたわ。
彼らには、先代のアルヴィス皇帝に恨みがありましたものね。
主君や親族を殺された復讐。
そのためにセリス皇子を利用したという節も、無いとは申しません。
暗黒教信仰による子ども狩りや民意を省みない圧政のおかげで、その私怨は表沙汰にはなりませんでしたけれど。
ともかく、セリス皇子はディアドラ皇妃が第一子、バーハラ王家の正統な皇位継承者という大義を得て挙兵しました。
破竹の勢いとは、きっとあのようなことを言うのでしょうね。
あれよあれよという間に、叛乱軍はイザークを解放してしまいました。
それからイード砂漠を越え、マンスター半島を攻略し……あとは、ご存知の通り。
彼は故郷であるシアルフィを前にして、当時皇太子だったユリウスに討ち取られてしまったと聞きます。
そのあとの叛乱軍は……さぁ、どうなったのでしょう。
おおかたは捕えられ、処刑されてしまったのではないでしょうか。
私の息子と娘も、きっとその時に死んでしまったのでしょう。
……え?
あ……ええ、その通りです。
父方のお従兄弟にあたるリーフ王子の領地である、レンスターを奪還したあたりまでは文も頻繁に届いたのですけれど、それ以降はさっぱり。
ですから、そのあたりの詳細は存じませんの。
軍の人数も増え、帝国領に近づくにつれて戦いも激しくなり、とても私に便りを送る暇などなかったのでしょうね。
便りの内容ですか?
申し訳ないのですが、あまり覚えていないのです。
とうの昔に、全て燃してしまいましたから。
なにかひとつくらい、と言われましても、難しいですね。
当時の叛乱軍のことは、本当にこれくらいしか知らないのです。
昔のことはよく思い出せるのですけれど、あまり話すと年寄りの愚痴になってしまいますからね。
これ以上のことをお聞きになりたければ、イードの酒場をお尋ねになってはいかがでしょうか。そこの女主人は、叛乱軍に関わりがあったと聞きます。
あくまで噂ですから、真偽のほどは定かではありませんけれど。
お茶のおかわりは、いかがですか?
……お気に召して頂けて、嬉しいこと。
これは私が持つ、最後の故郷の名残となってしまいました。
私が名家の姫だった頃、このお茶を楽しみながら中庭の花を愛でていたものです。
今となっては、本当に遠い昔のこととなってしまいましたけれど。
その懐かしい記憶を思い起こし、遠く離れた故郷を思いながら、この身が朽ちるまで此処に居ようと思います。
……ふふ、ご冗談はおよしになって下さい。
私が帰るべき故郷は、もうこの地上の何処にもないのですよ。
此処で静かに神に祈りを捧げながら、いつの日か愛する夫や子どもが迎えに来てくれる日を心待ちにしているのです。
そして私の魂が天へと召されたその場所こそ、私が最も行きたいところなのですから。
……お発ちになるのですか。
まぁ、いつの間にか、すっかり夜も明けていますわ。
愚痴になると言いながら、長らく愚痴を聞いて頂いてしまいましたね。
申し訳ありません、お喧しかったことでしょう。どうぞお忘れ下さい。
それでは、道中お気をつけて。
……えぇ、ありがとうございます。あなたも、どうかお元気で。
お若いのに、こんな嫗に心配されることなどありませんわね。
では……さようなら。
→2.酒場の女主人の言葉(イードにて)
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