あら、いらっしゃいませ。
 まだ日も高いうちにこんな所に来るなんて、酔狂なお方ね。
 馴染みのお客なら珍しいことでもないけれど、あなたは初めてでしょう?
 まだお酒は出せないけれど、それで良かったらどうぞ。
 その砂の被りよう、砂漠を越えて来たのね。
 このご時世に、ますます酔狂なお方だわ。


 はい、お水。
 何の用があって砂漠を越えたのかは知らないけれど、疲れたでしょう?
 生憎、此処では水も無料というわけにはいかないわ。
 少し休んだら、早めにマンスターに向かうことね。
 あぁ、ごめんなさい。煩いわよね。ちょっと待って。
 こら、静かにしなさい! もう少ししたら外に連れて行ってあげるから!
 ……そう、私の子よ。まだ日も高いのに、子ども狩りが怖くて外にやれないの。
 私が一緒に居たら庇ってあげられるけれど、子ども一人じゃそうはいかないからね。
 旦那?
 いないわ。五年前に、身体が腐れて死んだの。
 昔、あたしを庇ってできた傷が原因だった。
 医者に見せようにも……まぁ、ちょっと理由ありでね。
 あのひとがいなくなって、あたしは自分を恨んだわ。
 あたしがいなければ、あのひとは死なずに済んだのに、ってね。
 ……分かっているわよ、それくらい。でも、悔いるのが人間ってものでしょう?
 今は、そんなこと思っていない。守って貰った命を大事に生きていくわ。
 そのためにも、あの子を危ない目に合わせられない。
 約束したのよ、あのひとが息絶える前に。
 あの子は、あたしが立派に育ててみせる、ってね。


 え、旦那のこと?
 話すことなんてないわよ。
 話してもつらいだけだし、あたしの身の上だって話したって面白くないわ。
 どうしてそんなことを聞きたいの?
 ……人捜し、ね。
 さあ、知らないわ、そんな名のひと。
 しつこいわね、知らないものは知らないわよ。
 知っているといえば……ねぇ。
 あなたを、知っている気がするわ。
 姿形は違うけれど、以前会ったことがなかったかしら。
 気のせいならいいのよ。
 ただし、交換条件。
 あなたの正体を教えてくれれば、質問に答えてあげる。
 名も名乗らないひとに、過去を曝け出すわけにはいかないの。
 言ったでしょう、子どもがいるからよ。
 あたし一人なら、殺されようが何かを奪われようが構いやしない。
 でも、あの子がいる限り、あたしは死ぬわけにはいかないのよ。


 やっぱり、予想通りね。
 そうやってあなたの正体が分かれば、隠すことなんて無いわ。
 まぁ、まずはお久しぶり、とでも挨拶しておこうかしら。
 まだこんな所にいたのには、正直驚いたけれど。
 そんなに、捜しているひとに未練があるの?
 残念だけれど、あたしは本当にそのひとのことは知らないわ。
 あの混乱の最中、庇われて逃げるのが精一杯だったから。
 今、死んでいるのか生きているのかさえ、わからない。
 宛てがはずれたかしら、残念だったわね。


 その時のこと、そういえばあなたは知らないのだったかしら。
 と言っても、あたしだって何が起こったのか分からなかったわ。
 そうね、何か思い出せることがあるかもしれない。
 順番に話しましょうか。そういえば、もう十年以上前になるのね。
 人々が解放軍と呼び、蒼穹色の髪を翻す盟主の下、帝国と戦ったのは。
 ……よく晴れているわね、空が蒼いわ。
 砂漠では雨なんて滅多に降らないから、よく思い出すの。
 強くて優しかった、あたし達の盟主様のことをね。


 解放軍がダーナを制圧したのは、777年の春先だったかしら。
 暑くなりかけた時だった、ということは覚えているわ。
 あたしはこの街で、ちょっと名の売れた踊り子だった。城主に気に入られるくらいに。
 そうやって踊っていれば良かったのにね。
 誰かお金のありそうなひとに見初められて、何も考えない人形のように踊って。
 多少厭な思いをしても、それが踊りを生業とする娘の正しい生き方。
 そうやって生きれば良かったのに、どうして解放軍に入ったのかしら。
 自分でも不思議だわ。
 きっと、若かったのよ。
 あの時に見た夢を、ずっと見続けられると思っていたんだわ。
 夢はいつか覚めることも分からないくらい、若かったの。


 解放軍に入って驚いたことは、たくさんあったわ。
 というか、あの軍にいる人達はみんな妙な人ばかりだった。
 身分差も家同士の確執もまるで無いんだもの。本当に名家の子女達かしらって疑ったわ。
 あの盟主様だって、ひとたび戦局を離れれば、仲間達と同じ目線で笑い合っていた。
 そういえば、彼が一番妙なひとだったかしらね。
 皇家の血を引いているのに、威張ったところはひとつも無かったし。
 解放軍の盟主なのに、偉ぶったりもしなかった。
 それに……これが一番驚いたことなのだけれど、彼は敵を仲間にしていたでしょう?
 本当に、驚いたわ。
 フリージのティニー公女になんて、腕を焦がされたのに、笑って迎え入れた。
 アーサーの捜していた妹なら、戦う理由はない、なんて言っていたっけ。
 ええ、甘いと思うわ。
 戦力上、味方はいくら居ても足りない状況だった。
 とはいえ、敵を味方にするのにはそれ相応の策か代償が必要だもの。
 それを仲間の親族だから、なんて理由で味方にするなんてね。
 当時も驚いたけれど、今ならきっと驚くを通り越して呆れるわ。
 ううん、今なら……きっと、解放軍に入ろうなんて思わない。
 それくらい、あの盟主様は優しかった。
 優しいと言えば、人を殺すのが嫌いなひとでもあったわね。
 斬るべき時には斬っていたから、怯懦とは違うけれど。
 今思えば、どうしてあのひとは解放軍の盟主になんてなったのかしら。
 金物の味も血の味も知らずに、草原の国で羊を追う生涯が似合っていたように感じたわ。
 本当、甘いひとだった。底抜けに優しくて、馬鹿みたいにお人好しで。
 でも……嫌いじゃなかったわ。むしろ、好きだった。
 あたし達はみんな、あのひとが好きだったのよ。
 束の間でも夢を見させてくれたあの盟主様が、大好きだったの。


 解放軍はそれから、マンスターを過ぎてトラキアも制圧した。
 今思えば、不気味なくらいあっさりと連勝を収めていったわね。
 トラキアで帝国からの援軍が来ても、返り討ちにしてしまったし。
 なのに、グランベルを前にしたミレトスで、あたし達は負けたの。
 今は皇帝となったユリウス皇太子と、雷神と謳われたイシュタル皇妃によってね。
 ……そう、あの時、誰かの声がしたわ。
 確かに聞いたわ。「裏切りだ!」って、誰かが叫んだ声。
 その声を皮切りに、あたし達は四方から攻撃された。
 ……四方?
 ごめんなさい、少し待ってくれないかしら。記憶が混乱しているのかもしれない。
 よく思い出すわ。


 お水、もう一杯飲む?
 いいの、今日はあたしのおごりよ。
 思い出したわ、全部。案外、人間の記憶って残っているものなのね。
 とっくに、忘れたと思っていた。
 いいえ、故意に忘れようとしていたのかもね。
 だって、思い出すにはあまりにつらいことだもの。
 でも、思い出して良かったわ。何だか胸のすく思い。
 じゃあ、お話しするわ。起こったことをすべて。
 ……あの時、ユリウス皇太子と雷神イシュタルが現れた。
 でもその前に、おかしなことが起きたの。
 盟主の……セリス様が、単騎で前線に出た。周りの制止も聞かずに。
 普通、指揮官が最前線に出るなんて有り得ないでしょう?
 何か考えがあったのか、それともユリウス皇太子の術に操られたのかは分からない。
 今考えると、たぶん後者だと思うわ。
 操られて、セリス様はユリウス皇太子に殺されてしまったのでしょうね。
 それと前後して、誰かの「裏切りだ!」っていう叫び声が聞こえたわ。
 ぞっと背筋が寒くなった。
 あたし達の誰かが裏切るなんて、とても考えつかなかったから。
 でも、それは現実だった。あたし達は、四方を敵に囲まれて攻撃を受けた。
 あたしは踊り子だから、前線にはいなかったけれど、振り返ればすぐそこに敵が迫ってきているのが見えた。あぁ、これで死ぬんだなって思ったわ。
 怖くなんてなかった。こう見えても、いつ死んでもいいように心積もりはしていたの。
 あたしは反撃する手段も身を守る術もなかったから、せめて誰かの盾になって死のうと思った。逃げようなんて、これっぽっちも思っていなかった。
 だって、あたしなんかが生きたって仕方ないじゃない。
 解放軍の要人が生き残れば、また帝国に反旗を翻す機会もあるかもしれない。理由は充分でしょう? だって皆、良家の子女だもの。
 あたしは素性も生まれも分からない孤児だし、帰りを待つ人もいない。
 じゃあせめて、誰かをひとりでも助けて死のうと思った。
 でも、ふらふらと敵の前に立ち塞がろうとしたあたしを、誰かが引き戻したの。
「何をやっているんです! 死ぬ気ですか!」
 あれは、ハンニバル将軍の息子のコープルだった。
 彼は杖を使う僧侶だったから、あたしと同じ部隊に居たのね。
 あたしはぼんやりして、ものが言い返せなかった。
 コープルは、こう両の掌をかざして金色の魔力を放出していた。
 あれが、魔法防御ってやつかしら。
 そうやって、あたし達を必死に攻撃から守ってくれたわ。
 そして「今のうちに逃げて下さい」って何度も叫んでいた。
 我に返ったあたしは、泣きながらあの子に縋った。
 あなたこそ逃げなさいよって、何度も言ったと思う。
 でもあの子は、逃げてくれなかった。
 どれくらい経ったのか分からないけれど、とうとう魔力が尽きたみたいで、コープルの手からふっと金色の光が途切れた。
 目の前には、こっちに向けて魔法を放つ魔道士達が無数に居た。
 あたし、コープルを助けないと、って思ったの。
 あの子を死なせたらいけないって、頭の中にはそれしか浮かばなかった。
 なのに、馬鹿みたい。身体が動かなかったの。
 ぱっと目の前が真っ白になって、このまま意識が途切れるんだと思ったわ。
 誰の代わりにもなれずに死んでしまうと思うと、悔しくて情けなくて、涙が止まらなかった。
 でもその時、奇跡が起こったの。
 奇跡と言うにはおこがましいかもしれないけれど、あたしにはそう思えた。
 真っ白になってしまった視界に、神々しい金色の光が射したの。
 それから、コープルの微笑む顔が。
 嘘みたいでしょう? きっとあの時、視覚なんてまともに働いていなかったと思うわ。
 でも、確かに見えたの。
 数瞬遅れて、誰かがあたしを抱きしめる確かな感触と、耳元で囁く声がした。
「生きて」って言われたの。「生きて、ねえさん」って。
 コープルの、声だったわ。


 あの時見たこと聞いたことは、きっとこれで全部。
 あたしは、あの後意識を失って、気づいた時には旦那の背に負われていたの。
 彼は、あたしを背負ったまま逃げてくれたわ。
 何度も言ったのよ、「あたしを置いて、あなただけ逃げて」って。
 でも、彼はけしてあたしを下ろそうとしなかった。
 あたしを乗せていたら、逃げる足も鈍くなるわ。
 とうとう、追いつかれてね。背後から魔法を浴びせられた。
 彼はわざわざ振り向いて、あたしの代わりに傷を負ってくれたの。
 ひとしきり魔法を浴びて、次の詠唱に入る前に何人かを反撃して、また逃げた。
 あたしは彼の背で青くなった。だって、血も止まらないし、ひどい傷だったんだもの。
 でも、彼は逃げる足をけして止めなかったわ。あたしは泣いて叫んだの。
 下ろして、下ろして、治療をしなきゃ、死んじゃうわ、って。
 そうしたら彼、あたしを置いて死ぬわけない、って言ったのよ。
 そんな科白が、恰好いいと思っているのかしら。馬鹿みたい。
 その時に腹部に負った傷が、何年もかけてゆっくりと彼の身体を蝕んでいった。
 暗黒魔法の傷は、治らないって本当なのね。
 必死に看病をしたわ。よく効く薬も煎じて栄養のあるものを食べて貰った。
 杖だって習ったのに、彼は、助からなかったの。
 ……コープルは、どうしたのかしら。
 たぶんあの時にあたしを庇って、死んでしまったんでしょうね。
 馬鹿な子。
 あの子も、旦那も、本当に……馬鹿。
 あたし、ちっとも感謝なんかしていないのよ。
 庇って貰ったって、これっぽっちも喜べない。
 一緒に生きてくれなきゃ、嬉しくも何ともないんだから。
 あなたも、泣かせたくない誰かが居るなら覚えておきなさいよ。
 誰かを庇って死ぬなんてことは、この上なく恰好悪くて、悲しくて、馬鹿げたことなの。


 日が傾いできたわね。
 さ、そろそろ子どもを外に連れていくわ。
 日が暮れてからは、酔いどれ達の相手をしなきゃならないから。
 あなたは、これからどうするの?
 捜しているひとの行方は、解放軍の仲間の誰かなら知っているかもしれない。
 コノートの孤児院に、『輝弓を持つ猟師』が居るわ。
 本名を出すことは嫌っているから通り名で失礼させて貰うわね。
 宛てが無いのなら、彼を訪ねてみたらいかが?
 あたしの名前を出せば、きっと話してくれるはずよ。
 彼には今でも時々、お酒の代わりに食糧を頂いているの。
 ……そう、今すぐ行くの?
 あなたなら大丈夫とは思うけれど、夜陰に紛れて近づく夜盗には気をつけてね。
 そこまで送るわ。ちょっと待ってね。子どもを呼ぶから。
 コープル、行くわよ。あらあら、はしゃいじゃって。
 大人びた叔父様の名を頂いたのに、あんたはちっとも落ち着きがないわね。
 さぁ、行きましょうか。
 夕焼けが綺麗ね、コープル。



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