鉄格子の填められた窓から、生温い風が吹き込む。
もう春が来たのだろうか。
冬獅郎は、うまく思考の廻らない頭でぼんやりと思った。
腐乱した死体となった少女は、先日腕の中から剥ぎ取られ何処かへ持っていかれた。
せめて墓を作ってやってくれと、憎い仇に頭を下げ懇願したが、女は心底愉快そうに笑っただけだった。
尚も頭を下げ続ければ見苦しいと蹴られ、背を強かに打ちつけ仰ぎ見た女の顔は般若のようだと冬獅郎は思った。
後日、リンの死体は川に流されたと、いつも無言で食事を運ぶ少女が教えてくれた。その川は荒々しさから竜神が棲むと言われるほど、雨が降ると必ず氾濫することで有名である。生きて此処から出られれば花を手向けに行こうと思った刹那、目の前の少女が、初めて感情を露わにして怒鳴りつけた。
「あんたがリンを殺したのよ!」
冬獅郎はその剣幕に驚きながらも、済まないと頭を下げた。すると冷めた汁や野菜の切れ端が頭上に降り、器が音をたてて床に落ちる。
「何も知らないのね、なら教えてあげるわよ。このままじゃリンがあまりに浮かばれないもの。
お方様はね、あんたが大人しくしていれば毒なんてお使いにならなかったのよ」
どういうことだと、冬獅郎は顔を上げる。少女の顔は真っ赤に染まり、怒りで肩はわなわなと震えていた。
「リンがあんたの代わりに飲んだあの毒は、四肢の自由を奪う毒よ。一度に大量に飲まなければ死ぬことなんてないわ。お方様がどうして、そんな毒を盛ろうとなされたか、分かる?」
「……俺が、殺してやるって言ったから?」
「そんなこと無理だけれど、気味が悪いと思われたんでしょうね。幼い姫様方も脅えておられたし。でもお館様のご命令で、あんたを生かしておかなければならないから、お方様はその毒を飲ませるようリンに指示されたわ。結果は現実が示している通りよ。
……母親を殺されたあんたには同情するけど、自分の置かれている状況や立場を少しは考えたらどうなの? 考えていれば、お方様に殺してやるなんて言えなかった筈だし、リンがあんたの代わりに死ぬことだってなかったんだからね……この人殺し!」
そう吐き捨て、少女は器だけ拾い集め出て行った。冬獅郎は呆然と、床に散らばった食べ物を眺めた。
此処に連れてこられる時、血にまみれて自分に手を伸ばしていた母を思い出す。いつも笑顔を絶やさない、優しいひとだった。
いつ学んだのか、田畑を耕すのには必要ない和歌や読み書きも母は達者だった。日中外に出られなかった冬獅郎は、それらを母から習い覚えた。おまえは賢いねと母が誇らしげに言ってくれると、いよいよ勉学に熱が入ったものだった。
母さん、違うよ。賢くなんかない。
俺はどうしようもなく愚か者だ。少し読み書きができたところで、そんなものは賢さとは違うんだ。俺は今まで何も分かっちゃいなかったと、冬獅郎は深い溜め息を吐いた。
自分がリンを殺したのだと、少女は言った。
母を殺されたことに対する恨みと憎しみを吐き散らして、周りのことをひとつも省みなかった。その結果リンは、自分の代わりに死んでしまった。
元々自分が弟に似ていたのかもしれないが、会話することであの心優しい少女は冬獅郎に情が湧き、代わりに毒を飲んだのだろう。リンを殺したのは、あの女ではなく自分なのだ。
どうしようもない。どうしようもなく愚かだ。
はは、と力無い笑いが吐息と共に洩れる。突きつけられた真実は残酷に、目まぐるしい速さで内面を引き裂いていく。
自分が最初からいなければ良かった。
そうすれば、母親は背を割られて死ぬこともなかった。
そうすれば、リンは毒を飲んで死ぬこともなかった。
大事なひとは全て、自分が存在している所為で命を落としていく。
化け物、と幼い頃から言われ続けていた呼称が不意に脳裏に甦った。
確かに化け物だ。
存在するだけで他人を不幸へと貶めていく、化け物だ。
冬獅郎は、ひかりの無い目を空へと向ける。柔らかな青さと空気が見える。もうすぐ新しい季節が来るのだろう。
昨年までは嬉しかった暖かい季節の到来も、今となっては何の感慨も湧いてこない。
雪融けも新芽の伸びる音も、もう忘れてしまった。
「……死ねよ」
ぽつりと呟くその言葉の通り、冬獅郎は切実に死を願った。
「みんな、死んじゃえよ」
自分と、自分を取り巻くもの全て、消えてなくなってしまえばいいと思った。
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