あてがわれた部屋は、いっそ物置か蔵とでも称した方が良い程度のものだった。
それでも、元居た家よりは格段に広い。日当たりの悪いことも、冬獅郎の体質から言えばむしろ好都合で、居心地に関しては文句のつけようがなかった。
ただ、戸には外から錠がされている。それが不満だった。
閉じ込められては、近くに居ても母の仇を取りに行くことができない。
それに、何故此処に自分が連れてこられたのか、その理由もいまだ知らされてはいない。
たかが妾に産ませた子どもの一人や二人、城主にとっては気にもかけない存在であるはずだ。まして、以前聞いた会話から察するに、母は城主の寵愛を疎んじて逃げた身であるらしい。わざわざ兵を割いて自分を捕まえる利点は何処にもない。もし万が一母が逃げたことへの腹いせや、母への愛情などがあったとしても、それならば数年放置していることは不自然だ。自分が生まれる前に母を拘束し、側室に据えれば良いだけの話である。
つまり、今この時になって、城主は急に自分が必要になったということだ。それが何かはまだわからないが、どうせ碌なことではないだろう。
そこまで考えて冬獅郎は、格子の嵌められた窓から見える曇り空に視線を移す。
此処に来てから、既に七日が経過していた。
男達に担いで運ばれ、今日から此処がおまえの部屋だと放りこまれた。
それから丸一日ほどは、声が枯れるまで叫び続けた。
人殺しめ。殺してやる。必ず殺してやるからな。
声がかすれて出なくなるまで、呪いを吐きつづけた。
それからは、何とか錠を外そうと戸に力任せに体当たりをし、戸をがむしゃらに叩き掻き毟った。爪が割れ、血が噴き出し、皮がめくれようと、冬獅郎はその行為をやめることはなかった。
頭を殺意が支配し、ただ母を殺したあの女を殺してやりたいと、衝動のままに戸を突き破ろうとした。
そうするたびに男達が部屋に押し入り、腰の立たなくなるまで殴られた。
それを三日ほど繰り返し、ようやく頭が冷えたのは、昨日今日のことだった。
実際問題として、此処から出るのは不可能だ。ならば、いつか此処から出られる時に機会を窺おうと、冬獅郎は考えた。閉じ込めるだけでは価値の無い自分を、まさか終生此処に監禁しておくはずもあるまい。城主の目的に使われる前に、刺し違えてでもあの女を殺してやろう。そう冬獅郎は思った。
「入れ」
見張り番の男の声が聞こえ、続いて戸が開く。髪を二つに結わえ、椀を載せた盆を携えた少女が入ってくる。その背後には、片時の隙も見せずに自分を見据えている男が居た。
『お食事です』
自分と歳もそう違わない子どもは、口の形だけでそう冬獅郎に示す。食べ盛りの冬獅郎にとっては明らかに不足している量の食事が、一日に二度、この少女から届けられる。
少女の喉には、ぱっくりと大きな傷跡があった。その所為で声が出なくなったのだと、初めて会った時に聞いた。
『小さい頃に、斬られました』
声の出ない彼女の言葉は、唇を読み取るしかない。それでも理解できない時には、冬獅郎は少女の唇に指をあて、舌に触れて動きを探った。
そうされても、少女は厭な顔ひとつしない。むしろ、そうまでして言葉を理解しようとしてくれる冬獅郎に、感謝の意を示した。
少女は、冬獅郎の話し相手もしてくれた。会話には時間がかかるが、他の人間と話ができないこの状況では、彼女の存在だけが孤独を癒す術と成り得た。
少女は意外に博識で、此処の城主が治めている地のこと、隣国のこと、覇権をめぐる戦乱のことなどを、面白おかしく冬獅郎に語った。
その後、まだ腹が鳴る冬獅郎に、少女はこっそりと食べ物を分けてくれることもあった。それは干した米や、泥のついた芋や、炊いた山菜だったりした。
当初はそれをただ空腹のままに食っていたが、ある日少女の腹の虫が鳴るのを聞き、冬獅郎は食べ物を差し出す彼女の手を押し戻した。
「おまえが食え。俺はもういい」
そう言っても、少女は首を横に振る。
「いいから。おまえだって腹減ってんだろ」
『わたしは、いらないです、いらないです』
少女は頑として、首を横に振り続ける。
その強情さに、冬獅郎は根負けして溜め息をついた。
「じゃあ、分ければいいだろ。二人で食った方がうまいからな」
そう言って、けして大きくはない芋をふたつに割り、片方を少女の手に返す。
「ほら。俺が食うんだから、おまえも食えよ」
がりがりと芋を噛み締めると、冬獅郎の口内に甘味が広がる。少女も、同じように芋を齧った。
『おいしい』
満面の笑みをたたえてそう口を動かした少女に、冬獅郎は苦笑した。
とある晩、甲高い女の怒号で冬獅郎は目が覚めた。
「いったいどうなっておるのじゃ! 毒は混ぜておるのだろうな!?」
物騒な会話である。冬獅郎は戸に張り付き、じっと耳を澄ました。
「おぬしの口がきけないからとて誤魔化せると思うたか。痴れ者めが!」
ばん、と頬を張る音がする。ついで戸にどん、と衝撃が伝わった。殴られた人物が倒れたらしい。一言も声を発しないところから、その人物は容易に推定できた。
「やめろ! そいつを殴るな!」
どんどん、と戸を叩きつけ、冬獅郎は叫ぶ。おや、と呟く女の声は、紛れも無く冬獅郎が今一番憎いと思っている相手だ。
「物の怪か。この娘を助けたいか?」
「俺を殴ればいいだろ! そいつが何したって言うんだ!」
「ふん、化生の者にも、他人を思いやる心はあるのかのぅ」
戸は開かれず、ばん、ばん、とただ殴る音だけが冬獅郎の耳に届く。
「やめろ、やめろ、やめろよぉっ!!」
「ほっほっほ、やめろと申すうちは続けようぞ。其処で大人しく聞いているがいいわ」
少女を殴る音だけが鼓膜に響く中、冬獅郎は怒りに打ち震えた。
翌朝、いつもの時間に少女はやってきた。
『おはようございます』
少女の可愛らしい顔は無残に腫れ、細い手足には無数の痣が散っていた。
「痛むか?」
冬獅郎の言葉に、少女はにっこりと笑って首を振る。大したことないですよ、と食事を載せた盆を置き、飛び跳ねて見せた。
『今日で、お食事を運ぶのも、最後です』
「え?」
『お暇を、頂くことになりました』
それは、此処の勤めを辞めるということだろう。冬獅郎にとっては少々淋しいが、あんな癇癪持ちの正室が居るような場所はさっさと辞めてしまった方が、この少女にとっては幸せだろう。
「……家に帰るのか?」
『えぇ、父と母が待っておりますので』
そうか。
きっと故郷の生家は、両親が居るあたたかい家庭に違いない。ひょっとしたら、兄弟も幾人か居るのかもしれない。どんな故郷だろうか。
今まで、少女個人に対する質問はしたことがなかったけれど、最後だと言うので訊いてみた。すると少女は、いつになく饒舌に話し出した。
『兄弟は、姉が二人と、弟が二人おります。姉は二人とも嫁してしまいましたが、弟の面倒をよく見ておりました。上の弟は、冬獅郎様と同じくらいなんです。恐れ多いのですが、冬獅郎様のように可愛らしい面差しなのです』
話を聞いて、なるほどと思う。やはりあの面倒見の良さは、弟の世話をよく焼いてきた姉が故だったのだろう。
『私の故郷は、この地よりもずっと西にあります。山と海が近い、とても気候が穏やかなところで、雪も滅多に降りません。景観が美しい土地でもあるんです』
「そうか……いつか、行ってみてもいいか?」
それは、叶わないかもしれない。けれど、もし此処から生き延びられれば、この少女が育った土地というものをこの目で見てみたかった。
その言葉に、少女は深く頷いた。
『はい、お待ちしております。冬獅郎様』
「……そういえば、」
先程から、いつもより自分の名を呼ぶことが多いように感じていたが、この少女の名を自分は聞いていないことを思い出した。
「おまえ、何ていう名だ?」
少女はそっと口元を指で隠し、それから弾けるように笑った。
『お許しください、申し上げておりませんでしたね』
そして、桜色の唇が、ゆっくりと、自身の名を形作る。
『リン……と、申します』
その笑顔が、冬獅郎にとって、最後の美しい記憶となった。
翌日から、当たり前のように彼女は来なくなった。食事は別の少女が一言も発さずにただ置いていき、頃合いを見計らって器を下げに来る。昨日のものと味は変わらないのに、ずっと不味く感じられた。
あの少女……リンは、今頃此処を出て、帰路の途中だろうか。
雪の降りそうな曇り空を眺めていると、いきなり戸が開けられる。何事かと目を瞬いた後、眸が映したその姿に冬獅郎は激昂した。
「何だよ、のこのこ殺されに来やがったのか?」
「口の悪い鬼だこと」
眉を顰め、扇で口元を隠しながら、くくくと笑いを忍ばせる。
「処分に困った故、これをそなたにくれてやろう」
後ろに控えていた男が、床に何かを放り投げる。ふわりと宙を飛び、ずしんと着地したそれは、見覚えのある顔をしていた。
「リ、ン……」
「愚かな娘よ。わらわの言う通りにしておれば、そのようにならずとも済んだものを」
リンはこときれてはいないようだったが、眸はどんよりと曇り、口はだらしなく開いて、まるで人形のように成り果てていた。
「てめぇ……リンに何しやがった!」
「人聞きの悪いこと。わらわは何もしておらぬ。その娘が勝手に毒をあおったまでのこと。まぁ死ぬには至らなかったようじゃが、その様子ではいずれ死んでしまうであろうな」
毒?
その言葉に、一昨日のことを思い出す。
この女は、こう言っていた。
いったいどうなっておるのじゃ! 毒は混ぜておるのだろうな!?
おぬしの口がきけないからとて誤魔化せると思うたか。痴れ者めが!
「まさか……こいつ、俺に盛られるはずだった毒を……」
「ふふふ、その通り。こやつは食事係ゆえ、毒の存在に察したのであろう。そこで、そなたの代わりに敢えて毒を食らったというわけじゃ。忠義な家臣を持って、鬼殿はお幸せなことよ」
揶揄しながら高笑いをする女に、冬獅郎は全身をわなわなと震わせる。なんて白々しい女だろうと、冬獅郎は怒りが沸点に達するのを感じた。
この女が、目障りな自分を殺そうと、リンに毒を盛るよう命令したのだろう。けれど、リンにはそれができなかった。それで一昨日の夜、そのことを叱責されていたのだ。追い詰められたリンが、どういう行動を取ったかは結果が示しているとおりである。
「俺が鬼なら……おまえは何だ! 悪霊か、地獄の案内人だ!!」
「無礼なやつめ!」
女の背後から踊り出た男達に冬獅郎は、棒で何度も打ち据えられた。
「リン……なぁ、リン……」
四肢はぴくりとも動かず、顔の傾き加減で開閉を繰り返す瞼を見つめながら、冬獅郎はだらしなく開いた口に食べ物を押し込める。
「頼むから、食ってくれよ……なぁ」
リンが飲食をすることができなくなってから、冬獅郎は自らに出される食事をリンに何とかして食べさせようとする日々が続いている。冬獅郎にとっては幸運なことに、そしてあの女にとっては不運なことに、冬獅郎が毒を盛られた一件は何処からか噂になってしまったので、城主が毒見役をつけさせた。おかげで、食事は安全なものとなった。
しかし、それが何になるというのか。
今更食事が安全になったところで、リンは元に戻らない。冬獅郎は、自身も食事を摂らない日が続き、二人はだんだんと痩せ細っていった。
幾日目かの朝、もうリンに食べさせる気力も費えた冬獅郎は、ぼんやりと手付かずの食事を見つめていた。
冬獅郎様。
そう呼んでくれたリンの聞いたこともない声が、耳朶をうつ。家に帰るなんて嘘をついてまで自分を庇った彼女に対して、湧き上がるのは怒りと悔しさだけだ。無論、自分に対しての。
馬鹿野郎と、自分に対して冬獅郎は何度も罵る。
気づくことはいくらでもできたはずだ。それなのに、何を呑気にぼんやりしていたのか。此処は恐ろしいところだと分かっていたはずなのに、察することができなかった。リンがこんな風になったのは、自分の責任だ。
悔やんでも悔やみきれないことを思っていると、目の前に芋が差し出された。
「え?」
慌てて身体を起こすと、動けないはずのリンが手に芋を持ち、冬獅郎に向けて芋を差し出している。どういう作用か知らないが、毒が中和されたのだろうか。そう思うと、冬獅郎は目の前の少女に抱きつきたい衝動に駆られた。
「リン……おまえ」
『食べてください。食べてください』
ぎこちなく動く唇は、何と言っているのか判別しづらかった。けれど、冬獅郎には通じた。リンはひたすらに、自分に食えと言っているのだと。
「おまえが、食えよ」
『食べてください。食べてください。食べてください』
同じことを繰り返すリンの手から、冬獅郎は芋を受け取る。
「じゃあ、分けようぜ」
いつかのように、芋を半分に割ってリンの手に返す。冬獅郎は自分の分の芋を、齧ってみせた。
「美味いな」
リンも、芋を口に運ぼうと震える手を動かした。
『冬獅郎様……』
がり、と芋の上を歯がすべり、ぽろりとリンの手が芋を落とす。
『……ごめん、なさい……』
それを最後に、リンは糸がきれるようにこときれた。
重力に従って傾ぐ身体を、冬獅郎は受け止める。
「なんだよ……謝るぐらいなら、するんじゃねぇよ……」
胸に抱いたリンの身体が、徐々に冷えていく。
目を閉じると、最後に話した内容が思い起こされた。
上の弟は、冬獅郎様と同じくらいなんです。恐れ多いのですが、冬獅郎様のように可愛らしい面差しなのです。
私の故郷は、この地よりもずっと西にあります。山と海が近い、とても気候が穏やかなところで、雪も滅多に降りません。景観が美しい土地でもあるんです。
そして、いつか行ってみたいと言う自分に、リンは頷いてくれた。待っていると、言ってくれたのだ。
それは、叶わないかもしれないと、あの時思った。けれどそれは、自分が生き延びられなかった時に叶わないと思ったのであり、けしてこの少女が死ぬことで叶わなくなるものではなかった。
「馬鹿……野郎……っ」
リンの笑顔が瞼に浮かび、冬獅郎はこみあげる熱に目頭を焼いた。
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